「『トムは真夜中の庭で』を読む」(西洋の児童文学を読むB、2021/6/25)

福西です。

『トムは真夜中の庭で』(フィリパ・ピアス、高杉一郎訳、岩波書店)を読んでいます。

1章の要約と内容確認のあと、2章『大時計が十三時をうつ』を読みました。

おじさんの家は退屈そのものでした。日中に疲れないせいで、トムはちっとも眠れません。そのことを訴えても、おじさんもおばさんも理解できず、取り合ってくれません。

「おまえには十時間の睡眠が必要だ」

「子どもはみんな眠るもんだ」

と。トムがけんめいに眠る努力していると、大時計が「ゴーン」「ゴーン」……と、13回目を打ちます。邸宅が「おいでよ。チャンスをなくしますよ」と誘うように思えたトムは、おじさんのように常識人ぶって、「13回なんてあるものか」と対抗します。「そうでしたか。じゃあ、大時計はうそつきだってことになりますね」と邸宅。

トムは「よし、わかった」とベッドから飛び起き、「1日は24時間である」という常識を証明するために、大時計を見にいきます。

 

「子どもはみんな眠るもんだ」というのは(大人や社会の)常識です。それがあるからこそ、そこからの逸脱がファンタジーを成立させます。

『トムは真夜中の庭で』という題名が示す通り、「眠らない子供」が不思議を体験します。

トムの行動は、次の要因に動かされています。

・遊び相手がいなくて寂しいこと

・眠れないこと

・おじさんに対する反感

・おじさんの言うことを聞き、常識を守りたいという気持ち

・もし1日が25時間なら、おじさんのルール(10時間眠ること)を守りつつ、1時間は自由に遊べること

ここからが、フィリパ・ピアスの「ファンタジー」へのいざない、「必然的展開」の始まりです。