10/31 歴史入門(高校)

岸本です。

先週は、アッバース朝衰退後の「イスラーム世界」の東方、9世紀から13世紀のアフガニスタンや中央アジア、イランやイラクを見ていきました。

今回は、同時期の西方、北アフリカやイベリア半島の様子を議論していきます。

 

エジプトには、アッバース朝に敵対するシーア派のファーティマ朝がありました。

そのファーティマ朝を滅ぼしたのが、クルド人のサラディンでした。

彼はアイユーブ朝を創始し、イェルサレムを奪還、第三回十字軍と戦います。

そのアイユーブ朝は、マムルークによって滅ぼされます。マムルーク朝の誕生です。

当初不安定だった政権ですが、「イスラーム世界」の東方を襲ったモンゴル軍を阻止、さらにアッバース朝のカリフを擁立して、イスラーム世界の政治・宗教的中心となるのです。

さらに、ファーティマ朝時代から経済・文化の中心であったカイロも、アイユーブ朝・マムルーク朝の都として発展していきます。

ここは、インド洋貿易と地中海貿易を結びつける交易の中心地であり、時の権力者たちもムスリム商人を保護することで、その恩恵に与っていたのでした。

生徒さんは、マムルークの反乱から成立したマムルーク朝が行った、マムルーク制度の整備に興味を持っていました。

自らの拠って立つ基盤だけに、どのようにそれを制御したのか、気になったようです。

生徒さんとは、アイユーブ朝から導入されたイクター制度が整備されていたことから、マムルーク制度も税制と合わせて整備されていたという議論が交わされました。

 

そのさらに西方には、イスラーム化した先住民のベルベル人によって、ムラービト朝、ムワッヒド朝が成立します。

両朝とも、北アフリカだけでなく、イベリア半島にも勢力圏を伸ばし、キリスト教徒によるレコンキスタと対立しました。

しかし、ムワッヒド朝の衰退後、イベリア半島には小王朝が乱立します。

最後まで残っていたナスル朝もついには滅亡し、イスラーム勢力はイベリア半島から撤退しました。

しかし、ナスル朝によるイスラーム文化は、アルハンブラ宮殿に代表されるように、現在のスペインでも残っています。

最後に、「イスラーム世界」の交易圏の広さを議論しました。

その広さに対して、生徒さんは「共通貨幣」の存在を指摘してくれました。

確かに、ウマイヤ朝期に定められたディーナール金貨とディルハム銀貨は、後のイスラーム諸王朝でも用いられます。

しかし、その価値が発行した王朝によって変化することも忘れてはなりません。

商業を活発にするという視点からの、面白い指摘だったと思います。

来週は、東南アジアやインド、アフリカに広がったイスラーム諸国家を議論していく予定です。