山下です。

以前書いたエッセイを読み直しています。

>>「温故知新と西洋古典」

「である」調で大上段に構えて書いています笑

最後の方にある、「市民を育てる教育」というくだりでハッとしました。

政治不信が叫ばれて久しく、政治批判の片棒を担ぐのは一時的に胸はすくのですが、アメリカの大統領がかつて喝破したように、国が何をしてくれるかという視点以上に、自分が何を貢献できるか、を常日頃から考えることがよりよい社会を築く上で重要であり、そもそもそれが民主主義の大原則だとふりかえるのでありました。

教育は何のためにあるかと言われ、市民を育てるため、という視点が今までも、そしてこれからいっそう重要になると思います。

それに備えた教育が用意されていなくても、自前で準備すべきです。

各家庭で「競争に打ち勝つために学べ」というのではなく、「自立した生き方(=自分で納得できる生き方)を選び取る力を備えよ」と言うことはどの親にもできます。

学校は学校で(進学塾は当然ですが)、自分の学校から何人どこどこに合格した、と互いに競いあっているように見えます。

これでは、子どもたちの学びを支援する姿勢をもつというより、極端に言えば、子どもたちが学校の名誉に貢献するための道具扱いされているようにみえます。

本来の民主主義社会を支える市民を育成する方向とはズレている気がします。

学校は学校でそのあたりをよく考えていただくとして、我々は自分の頭で何が正しくて何がそうでないかを判断し、よりよい道を歩めばよいだけです。

誰もそれをとめません。世の中のせいにして、歩みを鈍らせる理由はありません。

一人一人が自分の信じる道を見出し、堂々と歩めばよいだけだと思います。

また、そう個々の生徒が胸を張って生きることができるよう、大人は子どもたちの興味や関心の方向性をていねいに見守り、一人一人の努力を心から応援したいと思います。

Share