『ラテン語初級文法/初級講読B・C 』クラス便り(2021年3月)

山びこ通信2020年度号(2021年3月発行)より下記の記事を転載致します。

『ラテン語初級文法/初級講読B・C 』

担当 山下大吾

 初級文法クラスでは、教科書として岩波書店刊田中利光著『ラテン語初歩 改訂版』を用い、春学期にはそれを一学期で終える速習コースが開講されました。秋学期からは二学期で終える通常コースが開講され、途中受講生の変動がありましたが、現在オンライン式で参加されているお一方と共にゴールを目指して学習が続けられています。当日その課で学ぶ項目のみならず、以前学んだ範囲を可能な限り復習しながら取り組むように心掛けております。

 講読Bクラスでは、引き続きCaさんお一方と共にウェルギリウスの『農耕詩』を読み進めています。先日3歌まで読了し、最終巻である4歌に入りました。3歌では牛や馬、羊などの家畜が主題となっており、その最終部では、1歌最終部の政争の場面と対を成すかの如く、家畜に襲い掛かる不吉な疫病の描写が展開されています。Quaesitaeque nocent artes; cessere magistri.「対処法は、たとえ見つかったとしても有害である。名医も諦めてしまった」(3.549)という言葉は、この作品の中でのみ意味を成すものである様祈らずにいられません。

 講読Cクラスの『老年について』では、全85節の80節まで進み、死を巡る考察の場面となりいよいよ読了が間近となってきました。受講生は学期ごとに入れ替わりがあり、現在はギリシャ語初級文法も受講されているFさんお一方となっております。
 魂の不死を説くにあたってキケローは、プラトーンやクセノポーンなどギリシャ先人の思想を基に自説を述べており、註釈には彼らのギリシャ語原文が掲載されています。それらをキケローのテクストと対照すると、彼が先人の言葉のどこを活かし、どこを省き、どこで自らの見解を加えているのか判然とするのみならず、ギリシャ語では分詞構文となっている箇所がラテン語では動詞のある節で表現される傾向があるなど、両言語の性格の違いも分かり、大変興味深いものです。