『モモ』を読む(西洋の児童文学B、2021/2/19)(その2)

福西です。

ホラがモモを呼んだのは、モモを灰色の男から逃がすためということに加えて、「モモが星の音楽を聞くことができるから」です。

2章のおわり(まだ灰色の男たちが訪れる前)に、モモが円形劇場で星の音楽を聞くくだりがあります。

こうしてすわっていると、まるで星の世界の声を聞いている大きな耳たぶの底にいるようです。そして、ひそやかな、けれどもとても壮大な、ふしぎと心にしみいる音楽が聞こえてくるように思えるのです。

─『モモ』2章(エンデ、大島かおり訳、岩波書店)

そしてホラのところでモモが聞いた、時間の花の音楽は、つぎのように記されています。

その音はしだいにはげしくなって、滝の音か、岩に打ちよせる波のとどろきに似てきました。よく聞いているうちに、それは数えきれないほどの種類の音がひびきあっているのだということが、はっきりしてきました。それらはたえずたがいに入りまじりながら新しくひびきをととのえ合い、音を変え、たえまなく新しいハーモニーをつくり出しています。(…)

─『モモ』12章(エンデ、大島かおり訳、岩波書店)

時間の花や星から聞こえる音楽は、ホラの「死のメッセージ」と同様に、忙しい暮らしの中では聞こえません。

ところで、この音楽は、古代ギリシャ・ローマの哲学を下敷きにしていると思われます。

キケロー『国家について』に、スキーピオーが祖父から天体の音楽について教わるくだりがあります。

『これは何ですか。わたしの耳を一杯に満たすかくも大きな、かくも甘美な音は何ですか。』

『(…)いくつもの環自体の衝撃と運動によって作られる音だ。またそれは高い音と低い音をほどよく混ぜ合わせて、さまざまな、しかしおしなべて、和音を作り出している。(…)星を運ぶもっとも高い天球の軌道は、その回転がより急であるから高く鋭い音を出して動き、他方、いちばん下の、この月の軌道はもっとも低い音を出して動く。(…)』

『さて、人間の耳はこの音によって満たされて感じなくなった。(…)たとえば、ナイル河があのカタドゥーパと呼ばれるあたりできわめて高い山並みから落下するところ(福西注:)では、その場所の近くに住んでいる民族は、音の大きさのために聴覚を欠いている。しかし、この全宇宙の急激な回転による音はかくも大きいので、人間の耳はそれをとらえることができない(…)』

─キケロー『国家について』6.18(岡道男訳、岩波書店、『キケロー選集8』所収)

紐をつけた玉を振り回すと音が出るように、昔には天体も音を出して回っているのだと考えられていたようです。しかもその音があまりに壮大なので、滝のそばに住んでいると滝の音を気にしなくなるように、聞こえないのだと。

このあたりの記述が『モモ』のそれと類似しているので、クラスでも紹介しました。