山下です。
過去の巻頭文を順に読み返しています。

>>「温故知新と西洋古典」

効率のみを追求する世の中にあって、「温故知新」も「西洋古典」もないがしろにされるものだと思われます。

先日紹介した(没にした)巻頭文にも書きました通り、明治開国の時点でその傾向はありました。

西洋の近代には目を向ける一方、西洋の「古典」は後回し、否、無視することを決め込んで今に至るのではないかと思われます。

そんなことどうでもよい、という意見が大勢でしょう。

しかし、その結果として今の政治の混迷があると思われます。

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