西洋の児童文学を読むA(2020/9/3)

福西です。

小学生の「西洋の児童文学を読む」クラスでは、『はてしない物語』(エンデ、上田真而子ら訳、岩波書店)を読了しました。受講生の皆さん、おめでとうございます。

現実世界に帰ったバスチアンを待っていたのは、父親の涙でした。帰る時にこぼしたと思っていた<生命の水>が、父親の目の中にあることを知り、バスチアンは喜びます。

「さあ、これからは、何もかも変わるぞ。」

父さんは今までとは全然ちがう声でいった。

「おまえもそう思うだろ。」

バスチアンはうなずいた。胸がいっぱいで、ことばにならなかった。

──『はてしない物語』(エンデ、上田真而子ら訳、岩波書店) 26章「生命の水」

父親は、バスチアンの話に一日中耳を傾けてくれたのでした。それは一つの「変化」でした。

次にバスチアンは、勇気を出して、コレアンダー氏の店に向かいます。『はてしない物語』を店から盗んだことと、それをなくしてしまったことを伝えるためです。

そこで、父親は「代わりにしてやろうか」と言います。まるでアトレーユが、ファンタージエンでバスチアンが始めた数々の物語をすべて終わらせる役目を引き受けた時のように。

けれども、バスチアンはきっぱりと答えます。

「これはぼくのことだもの、自分でするよ。」

と。父親は、「変わったなあ。」と感心します。このくだりは、24章の「変わる家」を想起します。

バスチアンは、ファンタージエンのことも含めて、コレアンダー氏に一切を話します。すると、コレアンダー氏は「おさな心の君は、おれも知っている」と告白するのでした。二人はたちまち知己となります。

コレアンダー氏は言います。

「きみ、ちょくちょく顔を見せてくれるといいな。おたがいの経験したことをはなしあおうよ。こういうことをはなしあえる人間はそうたくさんはいないから。」

と。こうして物語は「はてしなく続く」のでした。

読み終えた私たちも、バスチアンのように、ことばにならない何かを得ました。

一年と四カ月。皆さんと一冊の本を通して、大団円を囲むことができました。ありがとうございました。