山びこ通信2019年度号(2020年3月発行)より下記の記事を転載致します。

『フランス語講読A・B』

担当 渡辺 洋平

 フランス語講読Aの授業は、昨年の6月から哲学者アンリ・ベルクソン(Henri Bergson 1859-1941)の『意識に直接与えられるものについての試論Essai sur les données immédiates de la conscience』(1889)を読んでいます。日本では『時間と自由』というタイトルでも知られていますが、近年は仏語の原タイトルに即した訳書も出ています。この原稿を書いている2月現在で、70ページほどを読みすすめたところです。隔週1回、80分×2コマの授業で、毎回約5ページ前後のペースで進んでいます。

山の学校では受講生の希望もあり、この数年はベルクソンの著作を多く読んできました。『精神のエネルギー』(1919)や『思考と動き』(1934)といった論文・講演集に収録された論考からはじめ、2017年から19年にかけては、主著のひとつである『物質と記憶』(1896)を読了しました。現在読んでいる『試論』はベルクソンが20代の時に書いた博士論文であり、まさしくベルクソン哲学の出発点となったものです。

さて、『時間と自由』という邦訳名が示すとおり、本書の大きな主題は「時間」と「自由」の問題にあるといっていいでしょう。特にベルクソン独自の時間概念である「持続durée」は以後のベルクソン哲学の核をなすものであり、彼の代名詞とも言うべきものです。

われわれは普段、時間というものをどのように考えているでしょうか。おそらく多くの人が、過去から未来へと伸びる一本の直線のようにイメージするのではないでしょうか。しかしベルクソンによれば、こうした時間の表象は不純なものだということになります。直線というイメージからしてすでに、時間とは異なるはずの空間から由来する性質が入りこんでしまっているからです。

ベルクソンが考える時間、すなわち「持続」とは、われわれの意識状態のように刻一刻と不断に変化し続ける時間であり、したがって異質性をその性質としています。退屈な時間は流れるのが遅く感じられ、楽しい時間はあっという間に過ぎ去るように、時間は決して等質的なものではないのです。この意味で、持続は「質的多様性」とも呼ばれるのですが、先程の直線のイメージではこうした質のありようを捉えることはできません。

人間の意識的な事象は空間内の物体のように明確に区別することはできません。怒りであれ、悲しみであれ、ひとつのかたまりとしてきっぱりと切り分けることはできないのです。ベルクソンの持続の概念は、こうしたこころのありようを捉えるために生み出されたものでした。私たちのこころの出来事は相互に浸透し合っており、明確な輪郭を持ちません。しかしいくつもの出来事が連鎖することで、ひとつひとつの音が有機的に組み合わされることでメロディーが生み出されるように、時間がかたちづくられていくのです。

ではこうした持続のありようは自由の問題とどう関わるのでしょうか。これは『試論』の最終章である第3章のテーマであり、また次号で書いてみたいと思います。

なお、きちんと精査したわけではありませんが、岩波文庫版の『時間と自由』にはかなりの誤りが含まれており、訳書で読む場合には注意が必要です。

フランス語講読Bのクラスは、昨年から引き続き休講中です。もしフランス語の原文で読んでみたい本や文章がある場合、ご気軽にお問い合わせください。ジャンルや難易度は問いません。

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