ことば1~2年(2019/12/3)

福西です。冬学期もよろしくお願いいたします。

紙芝居『月夜とめがね』(小川未明/原作、諸橋精光/絵、脚本、鈴木出版)を読みました。

月の光が「青い」という表現から、しみじみと情景を思い浮かべました。「それ、わかる!」という受講生の反応に、(ああ、よかった)と私も思いました。

月のいい晩、独り暮らしの老婆のもとに、「めがね屋が訪れる」「少女が訪れる」という二つの事件が起こります。紙芝居の絵では、めがね屋と少女のうしろには、どちらも月が描かれていて、印象的でした。まるでそこからやって来たかのようでした。また、どちらも「月がいいので」と言うのですが、それがなぞなぞか、呪文のようでもありました。

老婆が深夜まで起きている、めがね屋のことをあやしまない、少女のけがに薬を塗らなかった、など、理屈で考えると、つじつまの合わない点がいくつかあります。しかし、読む時間をゆっくりにしていくと、日常をはなれた時間に対して、やはり受講生たちの方が私よりも敏感でした。ほころびが、むしろ非日常に対する「のぞき穴」として働くように感じられてきました。「ああも思えるし、こうも思える」と。この作品は、合理的でない部分を含むからこそ、また読みたくなるファンタジーなのだと、読んで改めて感じました。

 

後半は、俳句をしました。

冬蜂の死にどころなく歩きけり  鬼城

冬蜂が冬の季語です。春の季語である騒がしい蜂が、冬蜂になるとたちまち印象が変わります。触っても足をばたつかせるだけで、飛ぶことも、刺すこともできません。たまたま、この日は受講生たちにその実物を目にしてもらうことができました。この季節、道端のどこかにまた蜂が落ちていると思います。もし見かけたら、揚句の通り、そういう季節なんだなと感じてくれると幸いです。

そのあと、『こども歳時記』で季語を十ほど調べました。