福西です。

ウェルギリウス『アエネーイス』(岡道男・高橋宏幸訳、西洋古典叢書)を読んでいます。

2.567-633を読みました。

山場に次ぐ山場です。アエネーアスはヘレネーを目撃し、彼女がトロイア陥落後も生きのびることに怒りを覚えます。そして「復讐することは喜びとなるだろう」と思い込みます。

583-4

/ namque etsi nullum memorabile nomen
feminea in poena est, habet haec victoria laudem;

たとえ(esti)記憶に残るような名声が(memorabile nomen)この女の処罰(feminea poena)の中に(in)何一つない(nullum est)としても、これらの勝利は(haec victoria)名誉を(laudem)持つだろう(habet)。

丸腰の女一人を相手に「勝利」と呼ぶところに、アエネーアスのただならぬ精神状態を感じます。

585-7

exstinxisse nefas tamen et sumpsisse merentis
laudabor poenas, animumque explesse iuvabit
ultricis flammae et cineres satiasse meorum.

このような不正を(tamen nefas)消し去った(exstixisse)そして(et)ふさわしい処罰を(merentis poenas)果した(sumpsisse)と、私は讃えられるだろう(laudabor)。復讐の(ultricis)炎に(flammae)精神を(animum)満たすこと(explesse)と(et)我が仲間の(meorum)灰を(cineres)満足させることは(satiasse)喜びとなるだろう(iuvabit)

この未来形の表現は、第一巻の「これらのこと(苦しみ)もいつか思い出すことが喜びとなるだろう」(forsan et haec olim meminisse iuvabit. 1.203)を想起させます。

1巻と2巻は、同じ単語、同じ表現を使いながら、陰影が逆であること(1巻は前向き、2巻は後向き)が見て取れます。両巻のコントラストは、大変味わい深いです。(過去の自分について、現在のアエネーアスがディードーに物語る構造)

さらに、ここでのアエネーアスの怒り(ira)は、1巻冒頭の「非情なユーノーの怒りゆえに」(saevae Iunonis ob iram)というフレーズを連想させます。そして12巻ラストのシーンをも。非情な苦しみの形見(saevi monimenta doloris)を見て怒り(ira)を覚えたアエネーアスは、命乞いをするトゥルヌスにとどめを刺してしまいます。そこでこの叙事詩は幕を閉じます。

(一方、ユーノーはトロイア人に対する怒りを、トロイア人からローマ人となった彼らに対して鎮めます)

 

さて、ヘレネーを誅罰しようとするところで、ウェヌス登場です。ウェヌスは、「息子よ(nate)、いかなる苦痛が(tantus dolor)怒りを(iras)かき立てるのか(excitat)?」(2.594)と言い、アエネーアスに家族に対する配慮(cura 2.599)を思い出させます。そしてトロイアを滅ぼすのはヘレネーでもパリスでもなく、神々であると諭します。

この時のウェヌスは、『イーリアス』冒頭の、アガメムノーンに怒るアキレウスを制するアテーネーを連想させます。そしてウェヌスがとった方法とは、「神々の視力」を一瞬アエネーアスに付与することでした。

ネプトゥーヌスがトロイア城の基礎部分を引きはがし、ユーノーがスカイア門で軍兵を手招きし、アテーネーがゴルゴーの盾をふるい、そしてユピテル自身がギリシャ軍を鼓舞している光景をアエネーアスは認識します。この光景は、人間には見えないものですが、神の目を借りて見ることができます。一大スペクタクルです。

 

「苦労に終わりを置け」というウェヌスの表現にも注目しました。

苦労に(labori)終わりを(finem)置け(impone)。  2.619

ここでの苦労(labor)とは、ギリシャ軍やヘレネーに対して剣を振るうことです。つまり、すぐ逃げなさい、ということです。それは、最前の夢枕でもヘクトルが言っていたことです。アエネーアスはそれを実行せずに(夢から覚めると同時に忘れて)、戦いに身を投じたのでした。神々や読者の視点からすれば、その時間は逃げるまでの寄り道と映ることでしょう。

そして、終わり(finem)という単語からは、1巻でアエネーアスが仲間を励ましたときのセリフを思い出します。「神(ユピテル)はこれらのこと(苦労)にも終わりを与えるだろう」(1.199)と。

また、ユピテルとウェヌスとの対話(1.229-296、「いかなる苦労の終わりを与えるのか」「終わりのない支配権を与えた」)も想起されます。

 

神々が原因であることを悟ったアエネーアスは、ようやく逃げる決心をします。そして父と妻と息子の待つ館へと向かうのでした。

しかしそれは、一つの苦労の終わりであって、次なる苦労の始まりでもあるのでした。

 

 

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