『西洋近代思想の古典を読むA』第5回(2019/10/24)

谷田です。第五回は『君主論』の第22~26章を読みました。章のタイトルは以下になります。

第22章 君主が側近にえらぶ秘書官

第23章 へつらう者をどのように避けるか

第24章 イタリアの君主たちが、領土を失ったのはなぜか

第25章 運命は人間の行動にどれほどの力をもつか、運命に対してどう抵抗したらよいか

第26章 イタリアを手中におさめ、外敵からの解放を激励して

今回の箇所で特に面白いのが第25章の運命への抵抗という主題でした。運命(フォルトゥーナ)の変転に対して、いかに力量(ヴィルトゥ)によって備え抵抗するかという主題は、『君主論』全体の重要なテーマでした。ここでは、運命の支配は半分ほどで、あとの半分には人間の自由意志に任されているとされます。運命の女神に対しては、果断にあらあらしく支配することが必要だという有名な箇所があり、君主には運命の変転に備えること、具体的には民兵軍のような自前の戦力をもつことが求められます。最後の章は、運と力量を備えたイタリアの救世主としてメディチ家を称えるもので、失職中のマキアヴェリが復帰のためにメディチ家に示した新君主の統治マニュアルという特徴をよく表していると感じました。

今回で『君主論』を読み終えたため、次回からはマキアヴェリのもう一つの主著『ディスコルシ』の読解に入りたいと思います。使用するテキストは、

ニッコロ・マキァヴェッリ、永井三明訳『ディスコルシ――「ローマ史」論』ちくま学芸文庫、2011年

で、第一巻の第1~5章(~p.48)を読む予定です。新テキストに入る前に、マキアヴェリの生涯や時代状況等について、改めてお話しさせていただく予定ですので、関心がある方は、是非次回から御参加ください。