『西洋近代思想の古典を読むA』第3回(2019/10/10)

谷田です。第三回は『君主論』の第11~17章を読みました。章のタイトルは以下になります。

第11章 教会君主国

第12章 武力の種類、なかでも傭兵軍

第13章 外国支援軍、混成軍、自国軍

第14章 軍備についての、君主の責務

第15章 人間、ことに世の君主の、毀誉褒貶はなにによるのか

第16章 鷹揚さと吝嗇

第17章 冷酷さと憐れみぶかさ、恐れられるのと愛されるのと、さてどちらがよいか

当時、イタリアで主流であった傭兵軍が批判され、自国軍をもつ重要性が説かれます。また第15章では、自分の身を守るためには、君主はよくない人間にもなれなければならないこと。第17章では、人間は恩知らずで偽善者な邪な存在なので、愛されるより恐れられるほうがはるかに安全だとされます。恩義だけの関係は、利害によってすぐに断ち切られてしまうが、恐れられていれば、処刑の恐怖により見放されることがない等。人間のありのままの本性を見つめたマキアヴェリならではの、統治論が語られます。一方で、『君主論』自体が、一から自分の力で切り取った新君主国という例外的な事態を想定していることも忘れてはならないと思います。

議論の中で、時に脱線して(想像力をふくらまして)、思わぬ話題にいたることもありますが、それが複数で読む醍醐味だと、参加された方と納得しあいました。

次回(10/17)は、第18~20章を読む予定です。