福西です。

『無限論の教室』(野矢茂樹、講談社現代新書)の十九週と二十週の前半を読みました。無限とパラドクス(矛盾)をめぐる物語も、いよいよ終わりに近づいてきました。

ヒルベルトという数学界の巨人が、公理(誰もが認めるルール)から出発した形式的な手続き(論理記号)による体系で、数学全体をとらえ直そうとしました。幾何であろうと代数であろうと解析であろうと、さまざまな見え方の骨格はすべて同じ、「公理とその記号的な展開(形式)」であると。その体系を「公理系」といいます。彼はそれによる「完全で矛盾のない数学」の建設を標榜しました。

数学上の考えうる命題(「~であるか?」)のすべてがテーブルに乗せられているとします。ヒルベルトの立場は、「われわれはすべて証明できるし、すべて証明できるだろう」という豪語です。

命題の答には、真か偽のどちらかしかないとします。そして真だと証明されると、定理に昇格します(迷路で言うと、真=肯定的解決、「次」に進めます。偽=否定的解決、行き止まりです)。そして定理の組み合わせ(形式的な手続き)によって、他の命題を証明していきます。そのようにして、考えうるすべての命題は、いくつかの公理から出発し、真か偽かを証明しきった「完全」で「無矛盾」なる体系をなすだろう、と予想されます。

完全とは、一つの迷路にたとえると、スタートからつながっていない道は一つもない(たどり着けない場所、離れ小島は一つもない)ということです。また無矛盾とは、迷路の各地点が「通路」か「行き止まり」のどちらかで、その両方であるケース(ある時は通れて、ある時は通れない壁)がないということです。

そうした際限なく広がった、けれども踏破可能な迷路が、数学全体だとヒルベルトは思い込もうとしました。もしそれが「ラッセルの矛盾」のようなものの出てくるラビリンスだとしても、ヒルベルトはその矛盾の理由を、記号展開を無限に実行できない(無限に歩けない)人間のせいだとして、純粋な対象の数学とは切り離しました。そして公理(最初のルール)をいじることを追求し始めました。

その「形式万歳!」のヒルベルトの歩みを、「より完璧なもの」にしようと意気込んだ、ゲーデルという若者がいました。彼は、数学自体を「数学した」結果、なんと、ヒルベルトとは逆のことを、「矛盾のない公理系は、証明できない命題を必ず含んでしまう(つまり不完全である、その公理系のうちでは真とも偽とも判定できない「何とも言えない」命題がある)こと」を証明してしまいました。それが自然数というごく簡単なものであっても、です。

こうしてヒルベルトは「万能の夢」から覚めました。彼の議論は、数学基礎論という数学の一分野に格納され、その後の数学は「各自できることをしよう」というふうに落ち着きました。

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