福西です。

『無限論の教室』(野矢茂樹、講談社現代新書)の第六週(p86-99)を読みました。

今回の内容はおさらいを兼ねた脱線です。

テキストには、「可能無限」(果てしなく続く有限、いつまでも続けてよいという可能性としての無限)と、「実無限」(到達され、完結した無限)という二つの立場が登場します。そして、実無限を可能無限でいちど疑っておこうというわけです。

√2は、実無限の立場では、存在する無限小数です。一方、可能無限の立場では、「2乗して2になるような数を電卓で探すと、いつまでも小数展開を続けていき、その探し方、パターン(規則)に√2という名前が付いている」とみなします。

自然数は、「0に1を加えていく」という規則で構成できます。可能無限の立場では、その規則が自然数という名前だとみなします。

実数はどうかというと、√2には√2用の、πにはπ用の探し方(規則)がそれぞれあります。自然数の時のように、統一的な規則がありません。これを、可能無限の立場では、実数とは規則の寄り合い所帯であり、「名前の付けようがない、よって存在しない」とみなします。

でも実無限の立場では、ふつうに実数は存在します。幾何学的に「実線」と同じものだからです。それが可能無限の立場からは、「目に見えていても存在しない」ということになります。

変ですねえ、という話でした。

余談で、ピタゴラス教団の「豆食べるべからず」の話になりました。

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