福西です。

『アエネーイス』(日本語訳)の1巻131行から179行を読みました。

ユーノーのたくらみに気づいたネプトゥーヌスが、風の神をしかりつけます。

そこでA君は、「ネプトゥーヌスは地震も司る神なので、怒ったらさぞ恐ろしいだろう」と述べ、『イーリアス』からその該当箇所を挙げてくれました。

「ポセイダオンが涯しなき大地と山々のそそり立つ峰々を揺り動かす。(…)地底では死者の王アイドネウスも恐怖に襲われ、恐怖のあまり玉座から躍り上がって大声で叫んだが、これは大地を揺るがすポセイダオンが頭上の大地を切り裂いて、彼の館──神々すら忌み嫌う暗湿の恐るべき館が、人間と神々の目に晒されはせぬかと懸念したからであった。」(『イーリアス』第二十歌57-65、松平千秋訳、岩波文庫)

『イーリアス』のかっこいい「神々の戦闘」シーンのある箇所です。ここで、

ポセイダオン(ネプトゥーヌス)vsアポロン

アテーネーvsアレース

ヘレーvsアルテミス

レートーvsヘルメース

ヘパイストスvsクサントス

です。

A君の指摘では、「ハデース(アイドネウス)がちょい役でしか出てこない」ということでした。「戦死者たちを『アイデースの門に送った』といった詩的表現ではよくその名が出てくるのですが、ハデース自身が顔を見せるのが、この『地面(天井)が開いてびっくりした』という描写のみであるというのが滑稽です」と。

私には全然気が付かないことだったので、ありがたい指摘でした。

 

風の神はネプトゥーヌスに罰せられるわけ(136行目 non simili poena_:直訳「同じでない(前例のない)罰によって」)ですが、ユーノーの命令を聞かなければユーノーから虐められるだろうし、聞けば聞いたでこのように叱られ、どう転んでもいいことがないというので、同情が寄せられました。

そしてネプトゥーヌスが(トーリートーンらと)嵐を鎮めます。

このネプトゥーヌスの描写には、当時のローマ読者を念頭に置いた比喩が使われています。

「まるで、暴動を起こしそうな大群衆の前に、敬虔で武功を立てたカリスマが現れると、一同がざわめくのをやめて、しーんとなる。そのように、ネプトゥーヌスが馬車を御して海上をすべっていくと、馬車の後ろはすーっと凪いでいく……」という趣旨のそれは、さながらカエサルを引き合いに出しているかのようです。

このような比喩の時代性は『イーリアス』には見られない工夫だということをおさえました。

さて、アエネーアス一行は九死に一生を得て、カルターゴーに漂着します。打ち疲れた部下たちは黙々と火をおこし、「波で台無しになった穀物」と調理器具を取り出して、夕食の準備にかかります。

ここも『オデュッセイア』と比較すると面白いと思います。オデュッセウスの部下たちは困難に遭うと「もういやだ」と騒ぎ出すことがよくあるのですが、アエネーアスの部下たちは黙々と彼に従っています。詩人がそう書いているから、そうなるわけですが。

次回は、180行から241行を読む予定です。

『チップス先生さようなら』(ヒルトン)でも引用されている、有名な台詞、「おそらく、これらのこともいつか思い出して喜べるだろう」(フォルサン・エト・ハエク・オーリム・メミニッセ・ユウァービット)が出てきます。お楽しみに。

 

P.S.

A君は、ホメロス『イリアス』(松平千秋訳、岩波文庫)を読み返しているそうです。それで、授業の残り時間はイリアス談義に花が咲きました。

 

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