2012-09-10 英語特講

昨日の英語特講の様子を報告します。

参加者は中二生が二人。中1全体の復習問題を解いてもらいました。全部で穴埋めの問題です(つづりを正確に書かないといけません)。A君は前回の英語特講で、このプリントを3回やりました。その際、1回目は普通に解き、2回目は日本文だけを見て英語に直す練習をし、3回目は1回目と同じ条件で再度挑戦し見事100点満点でした。

学校の定期試験は大事で、これでよい点数を取ることでやる気が湧きます。ではどうすると満点が目指せるのか?答えは簡単で、今上にヒントを書きました。たいていの人は、上の1回目の問題演習とその答え合わせだけで「勉強した」と勘違いしています。本当の勉強は2回目の練習です。つまり、与えられた日本語を完璧に(つづりも間違わずに)英語に直せるまで練習すること。それが出来る人は、穴埋めだろうと、整序だろうと、選択問題であろうと、正解がスラスラ出てくるでしょう。

定期試験で満点を目指すなら、これを学校の教材に応用するだけです。

さて、A君は一ヶ月ぶりに同じ問題を解いた結果、2問間違いで95点でしたが、本人は地団駄踏んで悔しがっていました。この気持ちが向上の原動力です。つづいて1年の1学期から3学期まで、任意の日本語の例文を10問ずつ英作文してもらいましたが、今までで一番よくできていたと思います。かなり力がついたな、と私も実感しました。

B君は、この日が二度目の英語特講の参加です。今日は自分の誕生日だと言いながら部屋に入ってきました。愛嬌があります。さっそく穴埋め問題のプリントでつまづきました。正解は頭に浮かびますが、つづりがまるで不確かです。指の動きが止まります。私は「間違えてもいいのでどんどん思いついた綴りを書きなさい」と言いました。間違ったら、そこから勉強が展開できます。こうして問題を解かなければ、間違わない代わりに力を伸ばすきっかけが得られません。

一度目は点数はつけず、一つ一つの綴りを丁寧に赤ペンで書き、それを見て清書してもらいました。「清書だから丁寧に」と言うのですが、本人の手の動きは思いの外せっかちです。国語の勉強を思い出しても、小学校の低学年では「とめ、はね」を意識して、丁寧に字を書きました。英語も同じです。ちなみに、A君も英語特講に参加する度、私から「字を丁寧に」と言われ続け、今は自信のあるよい字をかけるようになっています。

B君とひとしきりやりとりをしたあと、もういっぺん見直しタイムを与え、同じプリントに再挑戦してもらったところ、惜しい間違いを二カ所しました。この二つの英文の清書をせよ、と言われたときのリアクションはとても素直で、ずいぶん落ち着いた字が書けていました。自分でもやるべきことをやっているという感触だったのでしょう。

続いて、彼には中1の1学期の復習をしてもらいました。英作文10問に取り組みます。日本文を見たらすぐ英語が浮かぶようです。昨日は人数が少なかったのでそれを許したのですが、彼がつぶやく英語にたいして、私が「それでよかったかな?」等合いの手を入れて正しい英語を口頭で完成させます。「よし、それでいい」と言われた彼は、自信満々でその英文を紙に書きます。ところが、クエスチョンマークを抜かす等のミスが出るわけです。「それでいいかな?」「完璧や」「ほんまに?」「絶対や・・・あっ!」。

こんなやりとりを通じて、1枚仕上げました。残り時間は20分。無理かも?と思いながら私は平然と「あと一枚。今度は中一の二学期の復習」と告げてプリントを渡しました。同じ調子で、一問ずつ言葉のやりとりだけで正しい英語表現を完成させ、それを紙に書く作業を続けていきました。やり方のコツがわかってきたのか、英語の勘が戻ってきたのか、25分かかりましたが、彼は最後まで解ききることができました。

その横で、先に述べたようにA君はスイスイ問題を解いては私の所に来て、添削を受けます。彼はほとんどできるようになったのですが、綴りを1つ2つ間違えます。偉い!と思ったのは、私が「間違った綴りは三回ずつ書いて」と言ったのにたいし、彼の手元を見ると一つの間違いに対し10回ずつ書いています。「すごいね」と言うと、「本気でつづりを覚えるんやったら10回は最低かかないかん」と(大人が言いそうな言葉を)言って胸を張りました。

そんなこんなであっというまの85分でした(5分超過)。

いつも言うことですが、「わかる」と「できる」は大違いで、この違いにB君が気づいてくれたとしたら私は嬉しいです。彼は頭の回転が速く、記憶力もよいです。でも、綴りがまるで不正確でした。英語を苦手とするほとんどの生徒は綴りを書かせると不安定です。彼は紙に書かなければそこそこ英語を知っていると見受けられるだけに、これがテストの点数に十分反映されないとしたら実にもったいないことだと思います。試験を受ける度「おまえは英語がダメだ」とマインドコントロールされ続けるからです。

ということで、別れ際にB君が「誕生日プレゼントちょうだいな」と軽い調子で言ったとき、私は「今日のがんばった答案がプレゼントだ」という洒落とも本音ともつかない返事をしたのでした。

たぶん、この日ほど実感を持って英語の勉強をしたことはなかったと思います。手ごたえのある勉強とは何か、それを実感できた中高生は大人が度肝を抜くほどの大きな成長を短期間でなしとげます。

英語特講でやっていることは、山の学校が大事にする基礎学習の縮図です。これより下はないというところまで時には降りていき、そこから逆に一段一段自分の足で昇っていく心地よさを味わって欲しい。10段上ったら、それは自分の実力です。形だけ先取り学習をして、わかった気になるだけの勉強は中身がすかすかで心にすきま風がふくばかり。

英語に自信のない生徒は、山の学校で心地よい学びの汗をかきましょう。いつでも参加を待っています。