ユークリッド幾何

福西です。このクラスでは、ユークリッド『原論』の中からいくつか命題を選んで証明してもらっています。

 

1年生には、『原論』を紐解いてまずはじめのところにある、第1巻の「三角形」についての命題を証明してもらっています。また3年生には、第3巻と第4巻にある「作図」のアルゴリズムを示してもらっています。まずは、後者の「作図」の意義について、少し述べさせていただきます。

 

作図問題というと、一見、幾何の領域だけにしか通用しないもので、興味が無い人には「それが描けて何になるの?」と思えてしまうかもしれません。私自身、実は昔そう思っていました。

 

しかし、アルゴリズムという横文字を出して私が言いたかったのは、単に我々は幾何の問題だけに触れているのではなくて、幾何を通して、「より普遍的なもの」に触れているということです。そして普遍的であればこそ応用範囲も広がる、ということです。

 

アルゴリズムとは、「こうすればできる」という説明書・設計書みたいなものです。その書き方、頭の使い方は、このクラスと隔週でしている「ロボット工作」においても、プログラムを書くときにまさに応用できます。要するにしていることはどちらも「理屈の並べ方」です。それが正しければ、幾何なら「誰がやっても同じ図が描ける」ということであり、プログラムなら「同じ動作が生じる」という再現性を持ちます。この再現性は、自然科学においてとても重要な要素です。なので、「なぜいまさら作図問題?」という疑問がもしふと湧いてきたら、このクラスでは「再現性のあること」にフォーカスしているから、ということを理由の一つに思い出してほしいと思います。

 

さてここからはおまけですが、「証明する」という経験がはじめての1年生へのフォローとして、授業の前に10分ほど『論理パズル』で頭の体操をしています。ネタ本には小野田博一著『論理パズル「出しっこ問題」傑作選』を使っています。ある生徒の話では、最初それを解けたことが嬉しくて、家でも「お母さん、これ解いてみ!」と出してくれたそうです。またこの頃は、それをノートにも貼っているのを見かけました。

 

確かに1年生にとって「証明すること」は新しい体験です。しかし、それゆえに「難しそうだ」と感じている人がいるとしたら、ここでもまた誤解を解いておかなければならないと思います。それはあくまで「はじめてだから」こそそう感じるのであって、決して「算数を難しいと感じた過去があるから」ではないということです。

 

小学校で習うことは、計算が主体です。計算が好きになることも数学の主要な入り口ではありますが、数学はそれだけを裾野に持つのではなくて、幾何もまた一つの登り口です(最終的には幾何も数式と混ざり合ってきます)。もしそこから登り始めても、数学「山」全体を好きになるチャンスは大いにあります。また、このクラスでは、(これは乱暴な言い方かもしれませんが)「一から作る」ものだからこそ、それまでの算数のイメージをいったんは「忘れてしまってもよい」ことになります。ゆえに、私が思うには、これまで算数にもし苦手意識を感じてきた人がいたとしたら、このクラスではそれを払拭し、リスタートできるチャンスです。(そして実際、算数はそれほどではなかったけれども、中学の数学で、特に幾何の証明問題でそれを好きになったというのはよくあるケースです)。もっと言えば、「人と違うことをしている」ことで、よりアイデンティティーを持ってもらいやすいと思います。

 

一方、「一から」という試み自体が、『原論』自体が持つ形式とも一致しているように思います。幾何の証明では、「点とは?」「直線とは?」「平行とは?」といった、前提となるルール(公理、定義)から出発して、「命題」(~であるか否か?という問い)を一つずつ証明していきます。そして、その結果(証明できたもの「だけ」)を「定理」として格納していくわけですが、「一から」であればこそ、これまでの小学校で習ったことは、実はほとんど出てきません。(だからとっつきにくいというのは、十分に理解できます)

 

また、「三角形の内角の和が180度であること」は、小学校では既知とされていますが、それをこのクラスでは厳密に「理屈」を使って証明してもらいます。もちろん素手では難しく、それにはいくつかの道具が必要となります。けれども、この「道具」自体も、自分で作ってもらうわけです。それが「一から」という意味合いです。

 

たとえば、「対頂角が等しいこと(1巻15)」「平行線の錯角が等しいこと(1巻28)」 という命題があります。それらは証明するまでは未知のものですが、証明した後は、たちまち便利な道具(発明)になります。いわばそれまで無人島で素手で生活していた状態から、石斧や鋤などの工具を自ら考案し、それを使って「家を建て」たり「畑を耕し」たりできるわけです。

 

そしてこれこそが『原論』の面白さですが、それまでに証明したもの(「定理」に昇格した命題)は「すべて自由に使えるもの」で、それを使ってさらに新しい定理を付け加えていくことができます。この「既知のもの」に「未知のもの」を付け足していき、「体系化する」という作業もまた、先に述べた「再現性」と同様に、自然科学の大事な要素です。

 

長々と抽象的なことも書いてしまいましたが、しかし「志を高く」ということが、最後に言いたかったことです(^^)。ゆっくりとですが、ぜひペースを保って、数学「山」を登ってほしいと思います。