「山びこ通信」2017年度秋学期号より下記の記事を転載致します。

『しぜん』A・B1・C1・C2

担当 梁川 健哲

上記の「お祓い」も、「建物建てるときにする『アレ』をしようよ」という皆の発案ですし、基地作りでは、傷んだベンチの材料を差替えたり、アプローチの階段を作ったり、自発的な工夫が生まれました。

Aクラス
9月最初のクラス。いつものようにみんなが書いてきた絵日記の発表会をしました。その中には、夏休み前に「梅ジュース」を仕込んだ際、拾って帰った一粒の梅の実が、その後しぼんでカビが生えるまでの様子を記録したものがありました。「落ちて死んでしまった梅だったのだけれど。」Hちゃんは何気なく言いました。梅の実は、生きているのでしょうか。生きているとすれば、いつ「死ぬ」のでしょうか。木の枝に付いている時は生きていて、離れた時死ぬのでしょうか。または、離れても生きているのでしょうか。(同じ問いをBクラスにも投げましたが、意見は様々に分かれました。)
かたや2週間で腐ってしまったHちゃんの梅があり、かたや琥珀色の液体の中でシワシワになって浮かんでいる梅があり、その甘酸っぱい液体を飲むと、生気が甦るように元気が出る…。これらは、どういうことなのでしょうか。「生きている」とは。「腐る」とは。立ち止まって考えてみると不思議なことは沢山あります。
色々なことをして過ごすしぜんクラスですが、私はそのようにしてあれこれ考えてみたり、議論をしたりする時間も折々大切にしたい(Aクラスに限らず)という想いを込めて、この日「てつがく」という言葉を紹介し、国語辞典で引いてもらいました。また、みんなはその「入口」に立つ体験を既に沢山してきていることも指摘しました。ここでは学問として追求する訳ではありませんし、正しい、間違っている、ということではなく、誰もが自由に考え、意見を交わすことが重要で、少なくとも不思議なことを不思議なままに面白がったり、有難がったり、草花や虫、他者の生き様を自分と比べたり、重ねたりしてみる経験は意味深いことに他なりません。
森の中を駆けまわったり、2年が経つ「ひみつ基地」の修繕をしたり、鳥の巣箱をしかけたり、これから楽しいイベントが沢山待っている中で、みんなとの対話を大切に過ごして行きたいです。

Bクラス
 「たんぼにすずめがたべにきていました。てをたたいてみたらいってでんせんにとまりました。もいっかいてをたたいてみたらやねにとまりました。F(私)とスズメはぜんぜんちがいます。」クラスでは今、Fちゃんが毎回「にっき」を書いて来てくれます。ここにもみんなで考えるヒントが沢山あります。

拍手で発表会が閉じられたあとは、いつものように森へ散策にでかけます。ある日、誰かが何気なく木に登り始めたのをきっかけに、次々とみんなが木登りを始めました。株立ちした木には、手足を突っ張るように広げて、一本立ちの木にはしがみつくようにして、また、誰かが「ここまで登れたよ!」と言えば、「私も!」と言ってチャレンジが続きます。裸足になる子もいました。どこまで進むかは無理せず見極めること、心して降りること、要所で声掛けをしながら見守ります。
 木登り大会がひとしきり終わると、Sちゃんが、「大縄跳びしようよ!」と呼びかけます。一端を木に括りつけて、回したり跳んだり、全員で何回跳べるかをチャレンジしたりが、クラスの残り時間に延々と続きました。汗をかいて、沢山笑って、みんなが今、大事な時間を過ごしているのだということに、疑いの余地はありませんでした。

C1クラス

(左)「あれは樹液かなぁ」(中)カタツムリを観察(右)山の学校の前に実る夏蜜柑を味見してみました

雨が降る日もみんなは外を散策したがります。教室へ来る途中に見つけたカタツムリをSo君が連れてきて、案の定、雨の中での生き物探しが始まりました。その日はカタツムリとコケが中心となりました。コケは私が勧めたものでしたが、Anちゃんは「あ、ここにも!」と言いながらあちらこちらの隅っこにあるコケを発見し、その手触りを確かめながら一摘みずつ色々な種類を集めていました。他にも、萩の葉の上のコロコロとした雨粒や、ゼリーのようにプルプルした桜の樹液、雨の中を何処かへ向かうカマキリなど、色々な発見がありました。
部屋に戻ると、カタツムリが這う様子や、微かな黒い点のような目などを詳しく観察しました。この日のきっかけを作ったSo君でしたが、カタツムリを手に取ろうと殻をつまみ上げるとき、吸着力によって体が伸びて負荷がかかるのが怖いようでした。そこで、カタツムリが行く先に、じっと指を横たえて見せると、カタツムリが短い触覚で指を確かめたあと、ゆっくり頭を持ち上げて指に這い上ってくる様子を観察することができました。これは、手に「導く」方法です。殻をつまんで掴みたい場合は、真上ではなく、斜めにスライドさせるように持ち上げると比較的剥がれやすいです。
別の日にも、小さいカナブンとクワガタを見つけてクラスの間ずっと可愛がっていたことがあります。そんな生徒さんたちの眼差しに寄り添って、みんなで「虫の目」になって過ごす時間を大切にしていきたいです。

流れをせき止めて所々ダムを作り、蟹の遊び場をつくるのがみんなの中で流行りました。

C2クラス
いつものように散策する沢の湿った砂地には、ヒヅメの形までくっきりとした動物の足跡が残されており、子どもたちは歓喜の声をあげます。ベテランの猟師さんは、足跡を見ただけで、動物の種類は勿論、その体格や頭数、行動パターンまで目に浮かぶそうです。そんな話をすると、みんなも「これは鹿だな!」「あっちから来て、こっちへ向かっている!」など、推察の限りを声に出し合っていました。
また、クワガタやカブトがいそうな木を見上げても、その姿が見つかることは少ないのですが、根本付近の枯葉をどけると、クワガタの頭部やカブトのツノなど、そこには確かな生き死にの痕跡を見つけられます。ただ、そうなると、益々生きた姿を捉えたくなってくるものです。ある日、Kotaro君が「バナナトラップ」を仕掛けようと提案し、みんなで設置場所を予め決めておき、次のクラスの前日に、私が仕掛けておきました。残念ながら昆虫はかかっていませんでした。

流れの脇にある砂地を掘ると、下からじわっと水が湧いてくる発見がありました。蟹を作った生簀に入れてその行動を見守ったりしました。

昆虫や沢蟹や蛙を見つけると、捕まえたくて仕方がなくなることは、みんなにとって本能に近いようなものだと思います。手に取ったり、飼育に挑戦したりして、間近に命を感じる貴重な体験を、クラスのみんなは重ねています。
私からは、少し異なる触れ合い方についても、みんなに提案し始めたところです。生き物を発見したら、警戒されることなく、どこまで近づけるかチャレンジするのです。少し心のゆとりを持って、ありのままの行動や、佇まいを見つめてみる。逃げてしまうかもしれないけれど、その瞬間に集中する。そうやって私自身、日向ぼっこするトカゲの瞬きやあくびを10センチ目の前で眺めたことも、草むらでじっとしているバッタの膝をそっと撫でたこともあります。
極めて野性的かつ活動的な男の子達だからこそ、スパイスとして、そんな瞬間も共に出来ればと思っています。

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