6/6 歴史入門(高校)

岸本です。

早くも夏らしく清々しい天気でしたが、今日の話題は現代日本を映し出すような少しくらい話でした。

今日は、戦間期の西アジアと、世界恐慌について解説、議論しました。

 

前回の続きとして、第一次世界大戦後の世界諸地域を見ていきました。

大戦後、西アジアではオスマン帝国が崩壊しましたが、民族自決の原則が適用されませんでした。

しかし、各地で植民地支配に抗議した運動が起き、エジプトやアフガニスタン、イラク、イラン、サウジアラビアなどの諸国が成立しました。

しかし、エジプトやイランでは、宗主国(特にイギリス)が軍隊駐留権や石油の利権などを保持している場合もありました。

アフリカでも同様の動きがありましたが、その独立が実現するのは、1960年以降になります。

 

さて、第一次世界大戦後、世界経済の中心となり、大量消費社会が実現したアメリカでしたが、新しい社会と経済活動に政府は対応することができず、最終的には株価の暴落によってアメリカに大恐慌がおこったのです。

これは、資本主義世界全体に広がり、各国の経済を混乱させ、社会不安を引き起こしたのです。

他方で、社会主義国のソ連はその影響をそれほど受けませんでしたが、スターリンの独裁体制が確立されていきました。

生徒さんとは、アメリカのニューディール政策、英仏のブロック経済など、その大不況への対応の特徴と問題点を確認していきました。

国際的に協力することなく、自国を優先した対応は、取り残されたドイツやイタリア、日本を対外進出へ走らせることになります。

 

残りの時間は、そのうちの日本の中国侵出を見ていきました。

日本は世界恐慌に先駆けて不況にあえいでいましたが、そこに世界恐慌の影響を受けて、経済混乱と社会不安が大きくなりました。

しかし、政府は有効な手段を打てず、逆に対外進出を唱える軍部が発言力を増し、それは満州事変に発展していくのです。

このあたりの情勢は、今の日本の状況との比較が、生徒さんと話題になりました。

不況や政治不信などは、確かによく似ており、目を引きます。

しかし、現代日本には(少なくとも形式的には)軍部がなく、また国際的にも協力体制が整っていることなど、当時との相違点も見落としてはいけません。

未来を予測することはできないでしょうが、現状の把握には、1930年代の歴史が有用といえると、私と生徒さんは考えるに至りました。

 

来週は、日本の進出に対する中国の抵抗と、欧州でのドイツの対外侵攻を検討して、第二次世界大戦の勃発まで見ていければと思います。