西洋古典を読む(2017/4/12)(その2)

福西です。

前稿の続きです。日本語訳で気になった表現について、何か所か原文で確認しました。

生徒のAさんはまず、「われわれに与えられたこの短い期間でさえ」(1.1)の「期間」という日本語が気になりました。

そこで原文を見ると、

temporis spatia(テンポリス・スパティア)

とありました。

時の(temporis)間(インターバル)(spatia)で、まさに「時間」のことです。

なお、時間「は」の形は、tempusです。Aさんはそれが「テンポラリーファイル」などのあの「テンプ」だとすぐに気付きました。そのように、2000年前の文章に現代でも通じているその単語が飛び出してくる(あるいは埋め込まれている)ことは、ある種、不思議なタイムスリップだと感じます。Aさんにはどうだったでしょうか。

さて、先の表現に戻ると、「期間」は直訳的にも「時間」でよさそうです。なので、「これは訳し方に揺らぎが出そうだな」と推測できます。実際、他の訳を見てみると、

「(束の)間」(大西訳)

「時間」(中澤訳)

「持ち時間」(杉浦訳)

とありました。

「持ち時間」という訳に、私はふと将棋の秒読みを連想して、イメージが灯りやすくなった気がしました。

次に、Aさんはその後の「人生に見放されてしまう」(1.1)という日本語の表現が気になったようでした。「つまり、どういうこと?」というわけです。

「人生に見放されてしまう」(茂手木訳)

「生に見捨てられてしまう」(大西訳)

「人生から見捨てられてしまう」(中澤訳)

「人生のほうから見放された」(杉浦訳)

ここは、だいたい同じ訳がなされていました。

そこで原文を見てみました。

vita destituat.(ウィータ・デースティトゥアト)

とありました。

「人生が(vita)見捨てる(destituat)」

と能動になっていました。「誰を?」というのは、「さあ、これからはおれの人生を生きるぞ!と、各種(お金や余裕など?の)準備が整ったばかりの大多数の人を」となります。

辞書(Cassell)を引くと、

destituo(デースティトゥオー),ere

to set down, place, esp. apart, alone

to leave in the lurch, forsake, desert

と意味が出てきました。(destitu-atの形は、3人称単数、間接話法としての接続法)。

このことから、「能動から受動に訳し込まれている」ということが確認できました。だからということでもないのですが、「人生が見捨てる=死ぬ」ということについて、Aさんは前よりは少し納得されたようでした。

 

「生は短く術は長し」(1.1)は、別の表現で、

Ars longa vita brevis. アルス・ロンガ・ウィータ・ブレヴィス(芸は長く生は短し)

でも人口に膾炙しています。これの訳は、Art is long,life is short.

ars= art

longa= long

vita =life

brevis =short

です。(ここではisにあたるestが省略されています)。

ただ、セネカの原文での引用のされ方は、語順と語形が違うので注意です。(vitam brevem esse, longam artem)

そこで、引用元のヒッポクラテス『箴言集』1.1のギリシャ語の原文と日本語訳とを見ました。

Ὁ βίος βραχύς,   ホ・ビオス・ブラキュス
ἡ δὲ τέχνη μακρή,  ヘー・デ・テクネー・マクレー

人生は(Ὁ βίος)短い(βραχύς)
それでいて(δὲ)技術は(ἡ τέχνη)長い(μακρή)

さて、ヒッポクラテスはテキストの訳注にあるように、お医者さんです。それなので、arsは芸というよりは技術、そしてただの技術ではなくて、「医師としての技術」になります。

『人生の短さについて』を単に黙読していると、これは読み飛ばしてしまうおそれがあるかと思います。

「人の命を助けるという技術を網羅して習得するにはあまりにも医者一人の人生では短すぎる」というニュアンスになります。「日暮れて道遠し」に近いでしょうか。あるいは後に続く「患者、付添い人、外界の助けが必要」の下りと合わせると、「医療技術というものは医者一人の手にあまる」(だからみんなで協力しましょう)となるでしょうか。

もう一つのニュアンスとして取れそうなのは、「医療で新しい技を考案した人の命は短くても、その技は世々に伝えられる」というものです。これだと、「虎は死して皮を残し、人は死して名を残す」に近くなると思います。(Aさんは、そちらの方が気に入ったようでした)

ただし『箴言集』1.1の文脈からは、前者で取るのが自然なようではあります。

出典(英訳):『Aphorisms By Hippocrates Written 400 B.C.E Translated by Francis Adams Table of Contents Section I』

 

最後に、1章3節の原文を見ました。それを例文に、インターネットの辞書を使った簡易な調べ方を説明しました。(>追伸)

 

ところで、もし気に入ったフレーズをノートに書き留める時には、Aさんにはぜひ日本語だけでなく、原文も添えることをおすすめします。もちろん訳文に感動するということは十分にありますが、日本語だとその表現は訳者の数だけあります。そして何より訳は「動きうるもの」です。それに対し、原文は一つです(校訂のことを除いて)。もし古典の言葉を血肉にしたいと思われるならば、表現の「動かないもの」(その究極が原文)でも見聞きすることをプッシュしたいと思います。

 

次回は2章を読みます。

 

【追伸】
1章3節の前半の原文です。

Non exiguum temporis habemus, sed multum perdidimus.

non ノーン =not
exiguum エクシグウム < exiguus(=little)「を」の形
temporis テンポリス < tempus(=time)「の」の形
habemus ハベームス < habeo(=I have)のWe haveの形
sed セド =but
multum ムルトゥム =multus(=many)の「を」の形
perdidimus ペルディディムス < perdo(=I destroy, ruin, waste, lose)のWe have~ed(完了形)の形

構文
non A sed B =not(only) A but(also) B

直訳
「時の少なさ(少ない時)を私たちは持っているのではない、むしろ
(時の)多さ(多い時)を私たちが浪費してしまった」

perdoの訳にはwasteを選んでいるわけですが、destroy「破壊する」にビビッとなりました。「そうか、時間の破壊者なんだ」と。そのイメージを得たことが、原文をあたったことの収穫でした。

ただし、コメンタリー(過去の研究の積み重ねから、ここはこう訳すのが妥当だというようなことが載っている本)を見ているわけではないので、独りよがりな物言いになりますが……。

 

なお、以下のオンライン辞書で、単語(たとえば上にあるexiguumなど)を
入力して、意味を知ることができます。

ペルセウス(辞書)
http://www.perseus.tufts.edu/hopper/morph?l=exiguum&la=la

「Get Info for」の横の欄に、他の単語を入力してみてください。

たとえば
1)temporisを入力すると、
2)tempusという形が出てきて、下に
3)a portion of time, time, period, season, interval
という意味が出てきます。

ここまでであれば、誰でも調べられる、というわけです。

その下に出てくるのは、「~は」「~を」など、可能性のある活用形(の一覧)です。

noun=名詞 sg=単数 neut=中性 gen=「~の」の形

単語によってはずらずらと出てきます。「うわ」となるので、最初は無視して構わないです。

 

ちなみに、vitaは、uitaで出てくると思います。(vでは出てこないです)

 

なお、『人生の短さについて』の原文は、以下のサイトから印刷可能です。
http://www.thelatinlibrary.com/sen/sen.brevita.shtml