福西です。

この日(11/1)は、あさってが「文化の日」(11/3)ということで、次の文章を読みました。

ミノウスバという蛾がいる。蛾とはいっても、およそ蛾という印象とはほど遠い、美しくてかわいい虫である。しかし、その存在に気づいている人は、ほとんどいない。それも当然かもしれない。

まず、蛾のくせに昼間飛ぶ。しかも、一年のうちで一一月のはじめごろにしか現れないのである。一一月のはじめは、天気のいい日が多い。一一月三日の文化の日は、統計的にほとんど晴れるといわれている。だから、この日はあちこちで運動会がおこなわれる。ミノウスバは、このさわやかな季節の昼前ごろ、秋の日ざしに翅をきらめかせながら、道端の生垣に沿って飛ぶのである。蛾の翅がなぜ秋の日ざしにきらめくのか。それはミノウスバの翅が完全に無色透明だからである。(中略)

問題は、ミノウスバが、なんでもう冬も近い一一月のはじめなどに親になるのかということだ。花もないが、それは困らない。ミノウスバは口もなく、食物をとる必要はないからである。たぶん、鳥とか蜂とかいう敵がいちばん少なく、しかもまだ暖かくて十分活動できる季節を選んでいるつもりなのだろう。

──『秋空に飛ぶミノウスバ』(日高敏隆『ネコはどうしてわがままか』(新潮文庫)所収)より

この文章を、200字程度に要約してもらいました。3回目になるので、この日から、「要約にかけるのは、10分」と決めました。そして時間を意識しながら書いてもらいました。

ちなみにミノウスバは、こんな虫です。クイズをしたところ、「蜂」という人が多かったです。いくつか虫の名前が出た後、M君が「蛾」と当てました。

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(ミノウスバ。写真はwikipediaより)

この虫が文化の日に飛んでいるところをぜひ見かけたいものです。

脱線ですが、私は下の虫を、オオスカシバだと勘違いしていました。こちらも蛾の一種で、幼稚園で見かけたことがあります。

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(オオスカシバ。写真はwikipediaより)

 

みんなの要約

ミノウスバという美しく、かわいい虫がいる。そのことに気づいている人はあまりいない。昼間にとんで十一月のはじめごろにしかあらわれない。口がない。(なぜ)冬も近いころに親になるのか。食物をとるひつようはない。(だからだろうか)

 

ミノウスバという「が」がいる。(この)「が」は、そんなにしられていないが、うつくしくてかわいい「が」だ。みんなは「『が』は夜に飛ぶ。」と思っているが、ひるまにとぶ。しかし、11月の3日がとぶのが多い。さむい時からミノウスバはおやになる。でもミノウスバてきには考えていると思う。ミノウスバはおやになると口がない。

 

ミノウスバというガがいる。ミノウスバは子どもを生むじきがふつうのガとちがう。ミノウスバはハチや鳥などが少ないので、子どもが食べられないので、11月などに生んでいる。食べものがなくてもミノウスバは食べものを食べないので、だいじょうぶなのだ。

 

ミノウスバという蛾がいる。蛾とはいっても、蛾という印象とはほど遠いきれいでかわいい虫だ。まず、蛾のくせに昼間飛ぶ。一年のうちに、十一月のはじめごろに(しか)現れない。問題は、この蛾が、なんでもう冬に近い十一月のはじめに親になるのかということ。花もなくて困らない。この蛾は口がなく、食物をとる必要がないからだ。

 

ミノウスバという美しくてかわいい虫がいる。羽はとうめいで色はない。昼にとんで親で見ることはそんなにない。十一月のはじめごろにしかとばないからだ。冬が近いのに親になるの(はなぜ)かということだ。口もなく食物をとるひつようはないからである。たぶんてきが少なくあたたかく活どうしやすいからなんだろう。

 

ミノウスバという蛾がいる。はねは無色透明で、昼間に飛び、成虫で見かけるのは十一月のはじめごろである。そのため、あまり知る人はいない。ミノウスバはなぜこの時期に成虫になるのか。それは、「ミノウスバにとって、寒すぎず、敵が少ないことが重要だからではないか。なお成虫は食べないので、食物の多い時期である必要はない」というのが筆者の考えだ。

なお、最後のは私の要約です。

 

3回目なので、まだ自分の思いを混ぜてしまったり、書ききれなかったり、本文の読み込みが足りなかったりするところが散見されます。それでも全体に、だんだん形になってきたように思います。

今回すごいなと思ったのは、本文を書き写すだけでなく、もう自分の言葉で組み立て直すことにも挑戦している点です。

これからどんどん上手になっていくと思います。

 

俳句の季語でかるたをしました。これがこの日一番の華(最初が「け」ならこちらが「はれ」)でした。

前回は百人一首で覚えている人が断然有利でしたが、今回はみんな同じ条件です。なので、前回悔しかった人も、ここぞとばかりにいっぱい取り合っていました。

季語は、『合本・俳句歳時記』(角川学芸出版)にあるものを使いました。

「蚯蚓鳴く」(秋の季語)には、Rhei君が、

「それって、昔の人の勘違いなんやで。知らない虫の鳴き声がした時に、たまたま近くにミミズがいたから、それでミミズが鳴いたと思ったんや」

と、そらで説明してくれました。物知りだなと感心しました。

また、T君が「消しゴムは季語になるかな」という問いを発していました。

私は大まじめに、「もしかしたら将来ないとは言えないなあ。人が消しゴムを使う機会が減って、ある特殊な時期にだけ使うようになれば」と言いました。「それに、ブランコだって最初は季語じゃなかった」と付け加えると、Sちゃんが「ふらここは春の季語や」と応じてくれました。

 

その後で、取った札のうちから四文字の季語を取り出してもらいました。

それを使って、以下のようにすると「いい句になりやすい」ということを伝えました。

上五「〇〇〇〇(季語)」+「や」

中七「~(下五の説明)」

下五「名詞」

これは一つのパターンです。

元ネタは、『20週俳句入門』(藤田湘子、角川学芸出版)に載っている、「四つの型」のうちの一つです。

同時に、以下のことを伝えました。

1)季語はぎゅっと詰まった言葉であること、

2)季語は説明を必要としないこと、

たとえば、「名月や」と言ったらもう「まんまる」とか言わなくていいこと。

3)季語を二つ使うと喧嘩すること、

4)季語(上五)と名詞(下五)との取り合わせ次第で、いい俳句になりやすいこと、

5)季語は、ぎゅっと詰まった言葉。それなので、「使わなくてはならない」というよりは、「俳句が17音しか使えないからこそ、使った方がいい」ということ。

私も最近ようやく俳句を勉強し始めました。もちろん素人ですが、漫然と作ることを称揚するだけでは、どうしても頭打ちが来てしまいます。そこで、このように「型」を意識しながら作ることに、より深くを味わうことに、移行していこうと考えています。

目の付け所を得たあとの自由には、より意義が出てきます。

(これは、授業の最初にしている「要約」という型を身に着け、その後の読書体験についても言えると思います)

 

私も一句。

 

立冬や雲連絡す愛宕山

 

今年の立冬は11/7だそうです。

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