10/12 歴史入門(高校)

岸本です。

先週まで、西欧近代の序論として、西欧中世を概観してきました。
今回からは、いよいよ近世・近代に入っていきます。

まずは、近世近代にいたる大きな変化のきっかけとなった三つの「動き」を見ていきます。
それは、「大航海時代」、「ルネサンス」、「宗教改革」です。

最初は、大航海時代について考えていきました。
航海技術の発展や、香辛料需要の拡大、キリスト教の布教を背景に、ポルトガルやスペインが中心となって、新たなインド航路が開拓され、アメリカ大陸が「発見」されました。
その華々しい探検の陰には、ポルトガルとスペインの勝手な境界線画定、スペインのアメリカ征服と原住民の酷使、アフリカの黒人奴隷の利用など、当時の西欧の「自己中心的な考え」があったことも、この「動き」を考える上で重要です。
生徒さんは、スペインやポルトガル以外の欧州諸国の「大航海時代」に関心を持っていました。
それはとても興味深い視点です。
確かに、イングランドが支援したカボット父子の北アメリカ探検もありましたが、時には私掠船などで「大航海時代の先進諸国」の船を襲うこともありました。
この対立は、今後の国際情勢を理解する上でも重要ですね。
また、「大航海時代」によって生じた、ヨーロッパ内部の商業革命や価格革命、また東西での分業体制の確立も後に大きな影響を与えることになります。

続いて、ルネサンスの解説をしていきました。
今回は時間の関係上、14-15世紀のイタリア=ルネサンスを見ていきました。
ルネサンスとは、古代の「再生(ルネサンス)」を理想として、様々な文芸が盛り上がった「動き」です。
イタリアでは、ビザンツやイスラームとの交流が比較的盛んで、その文化も流入しており、商業で発展した都市ではラテン語を使用する貴族化した商人が力を持っていました。
それを背景に、14世紀からフィレンツェでルネサンスが始まりました。
初期の代表人物、ダンテやボッカチオなどについて、その作品のあらましなどと一緒に紹介していきました。
彼らを保護したのが、フィレンツェを事実上支配した富豪メディチ家です。
転機は1499年のフランス王シャルル8世のイタリア侵攻でした。
マキァベリの『君主論』の執筆動機となったこの事件によって、メディチ家は追放され、ルネサンスの中心はローマに移ります。
サン=ピエトロ大聖堂を建築したブラマンテや、『ヴィーナスの誕生』で有名なボッティチェリ、『モナ=リザ』のレオナルド=ダ=ヴィンチ、それにミケランジェロやラファエロといった絵画の世界の大物もこの時期の代表人物です。
生徒さんは、この時代のイタリアについて、別の媒体で触れていたようで、非常に関心をもって聞いていました。
時間の関係上、あまり議論できなかったのは残念です。

来週は、ルネサンスが16世紀から西欧に移っていったところから話を始め、宗教改革まで話を進めたいと思います。