「山びこ通信」2016年度春学期号より下記の記事を転載致します。

『ロシア語講読』 

担当 山下大吾

 前学期に引き続きチェーホフの短篇に取り組んでおります。受講生はTさん、Nさんのお二方、この授業に限りませんが、毎週変わらず顔を合わせて読み進められるという環境に感謝しながらの講読です。前学期から取り組んでいた『中二階のある家』を読了し、その後Tさんのリクエストで、僅か数ページという規模ながらチェーホフ特有の世界が凝縮された好篇『大学生』を講読、現在は『大学生』の直前に記された『ロスチャイルドのバイオリン』を読み進めております。
 『中二階のある家』の主人公は、「運命によって絶え間のない無為徒食に定められてしまった」ある画家で、プーシキンの描き上げたオネーギン以来、19世紀ロシア文学の中で一つの典型となった「無用人」の系譜に連なる人物です。その彼の前に現れたのは二人の好対照な美人姉妹、姉リーダと愛称ミスュスィこと妹ジェーニャ。リーダは3等官という高官にまで上り詰めた亡き父親の遺産に頼ることなく慎ましく暮らすことを誇りとし、自ら貧しい民衆を救うべく、識字教育など各種の慈善事業にも積極的に取り組む女性で、その姿はかつて同じような活動に熱心に取り組んだチェーホフその人を髣髴とさせます。一方のジェーニャはまだあどけなさの残る純真無垢な姿が印象的で、画家は徐々に彼女に惹かれていきます。姉の態度には終始否定的で、短篇の山場となるリーダとの意見のやり取りの場面では、慈善事業とは実のところ単なる負担の押しつけに過ぎず、人間にとって最も大切な精神の解放に対して何より敵対するものとの持論を展開します。「必要なのは寺子屋ではなく、大学なのです」とはその折に出た彼の言葉の一つですが、人間が神々と同等な高みに到達するという彼の描く理想的世界が、結局のところ決して実現されないことは彼自身も認めているのです。
 「ミスュスィ、君はどこにいるんだ」―理想的女性の喪失を懐かしみ恋い焦がれる、この短篇を締めくくる画家の言葉は、もちろんそれだけでも印象的で耳に残りますが、ふと気づけば、画家はここで初めてジェーニャに対し「君」という気の置けない代名詞で呼びかけています。

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