福西です。

杞憂は、よく使われることわざの一つだろうと思います。今回はそれを紹介しました。

出典は『列子』の「天瑞」にあります。(中国哲学書電子化計画>列子>天瑞

いつも通り拙訳を配り、それを生徒たちと一緒に音読しました。

「天地が壊れるのではないか?」という心配に対して、原文では三者三様の立場が示されています。

1)杞子の友人:「天は、ものすごーくふわふわしているから、落ちてくるなんてありえない。地はものすごーく大きいから、壊れることなんてありえない。だから心配いらないよ」。(杞子はこの説得に安堵しています)

2)学者:「天地は確かに崩壊する可能性がある。だがいつそうなるかを心配するのは人間には大きすぎる話だ。だから心配などしなくていいのだが、もしその時が来たとしたら、心配せずにはいられないだろう」

3)列子:「天地が壊れないとするのも一説だし、壊れるとするのも一説。ただ私には、壊れるか壊れないか、それ自体が皆目分からない。だから私はそんなことには気を回さない」

生徒たちは、3番目の列子の意見に、「ぼくらもそうだ、そうだ」と同感していました。

(私は、1)も2)も大事だなと思いました)

 

後半は、先週からのリクエスト通り、推理クイズをしました。いろいろな可能性を解きほぐして、調子よく解いてくれました。

ある男が旅行で自分の子どもといっしょにジャンボジェット機に乗っていました。

男は、スチュワーデスに、子どもにコクピットを見せてもらえないか、とたのみました。(そんなことが実際ありえるのかどうかはさておき)許可をもらった子どもがコクピットにいくと、機長(パイロット)はよろこんで、飛行機の操縦のしかたについて、子どもに説明してくれました。

子どもが操縦室を出ていってから、機長は副操縦士に言いました。
「さっきの子は、わたしの息子ですよ」と。
どういうわけで、機長はそんなことが言えたのでしょう?

(文章はいじっていますが、これの元ネタは、ネットで検索すると出てくると思います。もし答の気になった方はお調べになってみてください)

生徒たちは、ある男、機長、副操縦士、子ども、スチュワーデス、それらで同一人物がいないかどうかを、順次質問してチェックしていきました。また生徒たちの考えが、「機長が、ある男のおじいさんではないか?」という可能性におよびかけたので、「「さっきの子」というのは、ある男の子どものことです」と付け加える必要がありました。

血縁関係にピンと来たところで、ほとんどゴールに近づいており、そのあと数回の質問で答が出ました。

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