『高校英語』(2年)『中学英語』(2年)『中学英語』(1年)(クラス便り2015年11月)

山びこ通信2015年度秋学期号より下記の記事を転載致します。

『高校英語』(2年)『中学英語』(2年)『中学英語』(1年)

担当 吉川弘晃

 私は、中学生と高校生の英語のクラスを3つ担当させていただいております。中学・高校の英語学習で私が身につけてもらいたいのは、「文章を正しく読む」ということですが、そもそも「読む」という行為はどういうことでしょうか。まず、「読む」という言葉は、テキストを声に出して読み上げる「音読」と目で追って頭に入れる「黙読」という2つの意味を含みます。あまりにも読むべき本が多すぎて声に出す時間もない現代社会では、後者のイメージが先行してしまいますが、本が高価で手に入れるのが困難だった近世以前では、「読む」といえば「音読」のことでした。「黙読」も、よく考えれば、テキストを頭の中で超高速で音読している行為に過ぎない以上、「読む」の基本が「音読」であるということは歴史上でも実生活上でも理解できるというものです。

 従って、「読む」という行為の本質は「話す」ということになりますが、一方で「読む」ということは「書く」ということでもあります。何か物事を話す際、(自問自答を含めて)必ず「聞き手」が存在しますが、当然ながら話す前にはその内容を頭のノートに予め書いておかねばなりません(対話の場合、「書きながら話す」ということになります)。これについては語学的にも興味深いところがあります。人にまとまった内容を「講義」することを英語でlectureと言い、イメージとしては講師が教卓に教科書(話す内容を書いたもの)を置いて、それをもとに話すというものです。これに対し、同じlectureでもフランス語の単語になると、テキストを「読む」という意味になるのです。「話す」ためには、その内容を「書く」ことが必要であり、「書く」内容を手に入れるには「読む」、さらには「聞く」ことが必要である、といったところでしょうか。現在でも語学試験では「読解」「作文」「聴解」「会話」の4つの能力が問われますが、本来は全て1つであるということです。

 やや抽象的な話になってしまいましたが、以上の4つの行為が自分の中でどこかつながっているところがある、ということに生徒さんが授業内で少しでも気付いてもらうのが新しい目標に掲げております。なかなか斬新なスタイルは取れませんが、まずは、教室の中で元気良く英語のテキストを「音読」するという基本に立ち返るという習慣を忘れずに続けていきたいと考えております。