「山びこ通信(2015年度春学期号)」より、下記の記事を転載致します。

山の学校ゼミ『数学』

担当 福西 亮馬

 

 このクラスでは、2年前から続いて『虚数の情緒』(吉田武著、東海大学出版会)を読んでいます。約750ページまで差しかかりました。いよいよ1000ページのゴール、山の頂きが「点」で見えてきました。毎週この分厚いテキストを開く時に、半分以上の箇所を「パタン」と折るのが普通の光景になってきました。そこに折り筋ができてきたおかげです。これも物理法則ですね。
 内容の主役は、第Ⅱ部までは数学でしたが、第Ⅲ部からは物理学になります。今はそのうちの古典力学の箇所です。人物ではガリレオとニュートンがずっと主役で、その合間に概説的に、フックが振動学、ベルヌーイが流体力学、ボイルやシャルルが熱力学、そしてボルツマンが気体分子運動論に出てきました。(少しだけアインシュタインの特殊相対性理論も出てきました)。このあたりの章は、16世紀以降の頭脳たちが、それぞれ興味を持った現象を解析するために「素朴なところから仮定を立てて出発する」という方法のオンパレードでした。考察にとって関連のあるものだけを理想化し、省きに省いて得られた結果。その抽象性の高さゆえに、仮定が成り立つ上でならば、その現象を分析する「単語」となりえる汎用性の高さ。裏を返せば、仮定による守備範囲をきっちりとすることの重要さ。これは受講生のMさんが指摘されたことですが、まったく「言葉」というものが持つ可能性と限界の話と同じだと思いました。
 今年の1月末の山崎和夫先生の講演で、お話に伺った「ラプラスの悪魔」も登場しました。微分方程式で書ければ過現未のあらゆる情報が分かる、という当時の物理学者(哲学者)が抱いた夢の仮定であるわけですが、あわよくば不可知論を否定せんとする、その情熱の「出所」として、「調和振動子」というモデルを、今は見ている最中です。

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