「山びこ通信(2014年度冬学期号)」より、下記の記事を転載致します。

『イタリア語講読』            柱本元彦

 相変わらず三名で講読しているダンテの『新生』、一年がかりでようやくですが、そろそろ終わりが見えてきました。前回三分の二まで進んだと書きましたが、もう五分の一も残っていません。一昨日(1月26日)ちょうど読んだところですが、ベアトリーチェが夭逝して一年後のある日、ダンテは、「彼女を思い浮かべながら板の上に天使を描いて」いました。つまりベアトリーチェの絵を描いています。知り合いが傍で見ているのにも気づかないほど夢中になって、何枚もの板に(天使は単数ですが板は複数です)。天使の絵を「描いて」いたには色を塗るという意味はありませんが、板絵なのですから、彩色された可能性もあります。なかなか心を打つ情景だなと思っていましたら、「そういえばダンテには画才があったようですね」と広川先生。なるほど、言われてみれば、『神曲』には、チマブーエやジョットに触れた有名な一節もありますが、なによりも神曲の絢爛豪華な視覚的イメージが雄弁に語っています。ところで、ダンテの用いる語彙は、洗練された言葉のみのペトラルカとは対照的に、実に幅の広いもので、『神曲』はバロック的な豊かさに沸き立っています。ならばダンテが絵を描いていたら、同時代のジョットとはまったく違うスタイルの絵になったでしょう。もしダンテが描いたベアトリーチェの絵が発見されたら!などと空想してわくわくするのは、とてもマニアックなことではありますが、しばらく前までナポリには、パルテノペの遺骸発掘を目的として設立された協会がありました。パルテノペはナポリの古名ですが、伝説にしたがえば、パルテノペは、オデュッセウスをみすみす逃してしまったセイレーンたちの一人です。彼女は悔しさあまって海に身を投げました。その死体が打ち上げられた浜辺に、都市が建設され、パルテノペの名が付けられたのだといいます。少なくとも、パルテノペの遺骸(キリスト教の聖遺物と同じノリです)よりは、ダンテの絵を発見する方が可能性ありそうですね。

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