「山びこ通信(2014年度秋学期号)」より、下記の記事を転載致します。

『ことば』(5~6年)

担当 梁川 健哲

秋学期からは、6年生の二人と過ごしています。

 小学校の放課後に、このお山の上に上がってくる二人とは、まず世間話から始まります。大抵は小学校での話題が多いですが、季節柄「駅伝大会」や「運動会の組体操」の練習などで、少々疲れ気味の日も見られました。そうしたときは肩の力を抜いて、そのまま喋り続ける日もありました。

 ある日は、互いの好きなことの話題から、スポーツ観戦に話が及んだり、妖怪の話になったり、語らうことそのものの話になったり、そこから、「心をひらく」とはどういうことだろう、「人の気持になって考えよう」とはよく言うけど、どういうことだろう・・・などという話になり、語らうだけでクラスが終ったこともあります。

 また、雨のしとしと降る別の日には、前学期から輪読を続けている長編小説『光車よ、まわれ!』 (天沢退二郎)を一章分読み切って一時間が経ってしまったこともあります。主人公は、生徒と同じ小学6年生。あるとき学校で起こった同級生の異変をきっかけに、「あやかし」の存在に気付いてしまった数人の仲間たちが力を合わせ、「水の悪魔」に対抗するために必要な「光車」と呼ばれる不思議な車輪を探し始めます。私たちに身近な「水」が、奇妙な振る舞いをしたり、水面を通して「さかさまの世界」に迷い込んでしまったり、日常がいつのまにか非日常的世界に繋がってしまうドキドキ感があります。

 また、風の吹く爽やかなある日には、園庭のベンチにこしかけて、「お花だったら」、「芝草」、「お日さん雨さん」など、身近な自然について綴った金子みすゞの詩を味わいました。

 「ほこりのついた しば草を 雨さんあらって くれました。 あらってぬれた しば草を お日さんほして くれました。 こうしてわたしが ねころんで 空をみるのに よいように。」

 どれも七五調のリズムが心地よい詩なので、俳句に馴染みのある二人にとって、詩作に繋がるきっかけになればという気持ちもありました。そして詩の一節にあったように、三人で芝生の築山に寝転がってみました。実際、雨上がりの、微かにしっとりとした芝草でした。(その時間が数十秒であったのか、数分であったのか、私が声をかけなければ、三人ともそのままずっと寝転んでいられたかもしれません。或はそうであってもよかったのかもしれない、と今では少し思います。)そのまま芝生の上で体を起こし、今度は極端に趣の異なる、北園克衛の言葉を羅列したような風変わりな詩を紹介しました。残り時間は うろうろしながら俳句や詩のネタを探しまわったりしました。

 俳句にせよ、ディスカッションにせよ、すらすら言葉が出てくる日も、そうでない日もあります。私もそうです。答えが出ないような問いに直面すると、しばらく沈黙が流れます。しかしそうした最中も二人の眼差しを見ると、頭の中に何か言葉にならない言葉が渦巻いているのを感じます。冒頭で触れましたが、例えば「人の気持ちになって考える」とはどういうことでしょう。スパイスとして、皮肉たっぷりの老人が青年と対話する『人間とは何か』(マーク・トウェイン著)あたりを敢えて引きながら、今度一緒に考えてみたいと思っているところです。

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