「山びこ通信(2014年春学期号)」より、クラス便りを転載致します。

『フランス語講読』(A・B) 担当:渡辺洋平

今期からのフランス語講読の授業では、ルネ・デカルトの『方法序説』(1637)をテクストにしています。デカルトの『方法序説』といえば、言わずとしれた哲学の古典ですが、これを授業のテクストとして選んだのにはいくつか理由があります。まず歴史的な古典であること。次に、一般の語学講座ではあまりとりあげられないテクストであろうこと。そして講師である私自身がある程度解説できる内容であること。これらの理由はどれも「山の学校」という場所で、私が講義をするということに関わっています。京都には山の学校のすぐ近くにあるアンスティチュ・フランセをはじめとしてフランス語を教える学校がいくつかあります。したがって、他の語学学校ではできないようなことがいいだろうと思いましたし、教養を重視する山の学校ですから、扱うテクストは古典がいいだろうと思いました。また私自身が哲学史を勉強してきたこともあり、それを生かせるものにしたいという考えもありました。こうしたことから自然と浮かんできたのが『方法序説』でした。

『方法序説』は当時のヨーロッパには珍しく、フランス語によって書かれた書物です。当時の学問的な書物は全て公用語であるラテン語によって書かれていましたが、デカルトはラテン語の読めない女性や子供にも読めるようにと本書をフランス語で書いています。その背景には、理性は万人に等しく備わっているというデカルト自身の思想があるのですが、そのおかげでさほどの予備知識がなくても読めるようになっており、これが『方法序説』が初めて読む哲学書として薦められる理由でもあります。

授業は現在、読み進む速度に応じて二つに分かれていますが、どちらの授業においてもやっていることに変わりはありません。それは徹底して「読む」ということです。本を読むということ、とりわけ哲学書を読むという行為は、その著者の思考の跡をたどる行為でもあります。ひとつひとつの文章や段落がなぜここにあるのか、なにを言わんとしているのか、それを丁寧に追いながら読んでいきます。デカルトの文章は現代の目から見ると一文が長かったり、接続法が多用されていたりと読みにくい部分もありますが、慣れてくると無駄のない明晰な文章であることがわかってきます。ここにも「明晰判明」を旨としたデカルトの思想があらわれていると言うべきでしょうか。

そのデカルトは、今期読んだ箇所で本を読むことは著者との会話のようなものだと書いています。この意味で、この授業はデカルトとの会話ということになるでしょう。しかしデカルトは一方で、過去の書物ばかり読んでいると今の時代に起きていることが分からなくなってしまうとも言っています。ヨーロッパの古典を読んでいると時代や文化の違いはいやが応にも意識されざるを得ないという面がありますが、むしろその差を意識しつつ、そこからなにを引き出すことができるのか、それを考えながら読み進めていきたいと思います。それもまた古典を読む意味であり、単なる知識とは違う教養のひとつのあり方ではないでしょうか。

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