今年度最初の素読と勉強会を開きました。

20人の参加だったので、場所を幼稚園の園舎を使いました。この日は正座はせず、椅子に座ってもらいました。論語の冒頭の言葉を紹介しました。

子曰、學而時習之。不亦説乎。有朋自遠方來。不亦樂乎。人不知而不慍。不亦君子乎。

私が使っている簡野道明の読みはこうです。

「子のたまわく、学びてしこうして時にこれを習う。またよろこばしからずや。朋(とも)遠方より来たるあり。また楽しからずや。人知らずしてうらみず。また君子ならずや」。

少し意味を説明してはもう一度最初から声に出し、また少し説明しては最初から声に出し。こうして何度も復唱した後、最後は全員で起立して声を合わせました。

この言葉から一つのメッセージを取り出すとしたら「復習の喜び」です。

学んだ事を何度も繰り返して復習する。それは楽しいか、どうか。皆に聞くと楽しいという声はありません。

誰にでも簡単だと思い込んでいることはあります。でも復習すると本当はよくわかっていなかったと気づけることがあります。それに気づけることは前向きに学んでいる人にとっては喜びです。

このようなことを伝えた上、後半の勉強会につなぎました。

勉強会は復習のいいチャンスです。年下の人が質問したら上の学年の人が丁寧に答えます。うまく説明できないときは先生も協力します。

子どもたち、とくに低学年の子どもたちにとって2時間勉強に集中するのは難しいです。もってきた自分の課題が尽きるとき、あるいはやる気が尽きるとき、私はまるつけのしてある前の方のページに目を通し、時にはもう一度清書するように、時には欄外にもう一度ていねいに書き写すように伝えます。

できたとしている問題も、「やっつけしごと」ですませているケースがちらほら見えるものです。

だから、もう一度気持ちを入れ直してやりなおす。これも復習です。

「できる」、「できた」。

これらの言葉には幅があるということです。そして、子どもたちにとって、本当に「できた」といえるには時間と手間がかかることを学んでほしいと願います。

最後にいつもと違う発見があったので、書いておきます。

図鑑をもってきたA君(小1)は、1時間半かけ恐竜の精密な絵を写し取りました。私は黙ってみていたのですが、一度も姿勢を乱すことなく最後まで手を動かし続けました。凄いの一言です。出来上がったときの満ち足りた表情が今も目に浮かびます。

ただし時間が余りました。もう一枚なにかを描くには時間が足りません。

すると、隣にいた小2の女の子が状況を察知し、「わたし1年の本をもってきたし、それをかしてあげるわ」といって、算数の本を貸してあげたのでした。

男の子はにこにこしてそれを受け取り、問題を解き始めました。

しばらく他の生徒たちの様子を見て回って戻ると、A君はふたたび満面の笑みをたたえて座っています。見ると、手には100点!と書いた答案があり、先の女の子が採点してくれたのでした。

そのとき私が感じたことは、A君は日頃から市販の問題集をやっていない(やらされていない)のではないか、ということです。

日頃から問題集に囲まれていると、先のシーン(女の子が本を貸してくれた時)のリアクションは真逆になり、「イヤや」と拒否したでしょう。

今回の勉強かを申し込む際、A君のお母さんは「毎日国語の教科書を音読しています。それで自信がついたようです。」とお書きでした。

あれこれ問題集を買わず、学校の勉強を大事にすることを実践されていることを嬉しく思いました。

この日はA君以外のすべてのお子さんにとって、たくさんの心に残るエピソードがありましたが、とくに彼の二つの笑顔が強く心に残りました。

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