『山の学校ゼミ(数学)』クラス便り(2014年2月)

『山びこ通信』2013年度冬学期号より、クラスだよりを転載致します。

『山の学校ゼミ(数学)』 担当:福西亮馬

今数直線の上を、ただ1個だけ数を刺せるような理想的に尖った針で、100万回刺したとします。その時、針先に当たった数は有理数と無理数と、それぞれどれぐらいの割合になるでしょうか。
その答は、今このクラスで読んでいる『虚数の情緒』(吉田武著、東海大学出版会)でも「濃度」という概念で説明されています。(答だけを稿の最後に付しておきます)。

4月当初はテキストを音読することがメインでしたが、最近のスタイルでは予習範囲を決め、毎週ごとに担当の方に発表してもらっています。1年間かけてコツコツと300ページのところまで読み進みました。今は無理数の項目です。

さて本書に、プラトンの『パイドロス』147dの英語からの引用がなされていました。そのfeetという3角形の辺の単位に、著者の註が付いており、「原文を調べていないが」とあったので、さっそく興味を持って原文に当たってみました。すると原文ではπεντέποδος(「5歩の」の意)などの形で、つまりπούς(足)とありました。これだけではどうでもいい知識ですが、さて引用の内容は、テオドロスという幾何の先生が、「√2、√3、√5…が次々と無理数であることを示していき、ところが√17のところで「突然」やめてしまった」というのです。このテオドロスの証明は記録には残されておらず、この「突然」の経緯を巡って、数学史家たちが諸説立てているということを、インターネットではじめて調べて知りました。以下の情報は『無理数の発見の歴史』というサイトに拠ります。もしご興味のある方は下記URLを検索なさってみて下さい。

(http://mail2.nara-edu.ac.jp/~asait/pythagorean/irrational/irrational.htm)

その記事によると、『数論入門』(G.H.ハーディー/E.M.ライト、シュプリンガー数学クラシックス)の「証明が困難だからやめてしまったのだろう」とする説と、『古代文明の数学』(ファン・デル・ヴェルデン、日本評論社)の「証明が簡単だからすぐに手が止まってしまったのだろう」とする説とが紹介されていました。特筆すべきは、後者で連分数展開というものが出てきて、それがユークリッドの互除法と同値であるという点です。私も初めて知りました。連分数展開なんていつ使うんだろうと思っていたら、ユークリッド『原論』の中から飛び出してきたことが驚きでした。(有理数の場合は第7巻命題1~2、無理数の場合は第10巻命題2~3にあります。ただし『原論』はテオドロスよりも少し時代が下ります)。そしてこのユークリッドの互除法を使うと、確かにシステマティックに√2、√3、√5…の無理数性を示せるだけでなく、√17の場合は一瞬で証明が終わることもまた手計算で確認できました。その仮説のすっきりと筋が通っていることに思わず感動を覚えました。それで授業でも紹介させていただいた次第です(これについては山の学校のブログでも補足するつもりです)。
さて、冒頭の問題の答ですが、「無理数:有理数」=「999999.999…:0.0000000…1」になります。驚きです!

このように数学では、一見当たり前だと思われた問題も微細に見ていけばいくほどに、実数の濃度のように尽きる部分がないということをしばしば感じます。