高木です。

紙ヒコーキを折って、外で飛ばして、そのことについて作文をする、というM君の前々回の要望を受けて、(先週は雨だったので)今日こそはそれを実行しようと思っていたのですが、クラスの始まる直前に、「やっぱり漢字したい! だって漢字好きやもん」とM君が言ってくれたので、今日も漢字の成り立ちを学ぶことにしました。(来週は外に行くと約束もしました。)「漢字が好き」と言ってくれたのが、私にとってはとても嬉しかったです。M君がこの純粋な知的好奇心を伸ばしていけることを祈っています。

また、漢字の前には詩の朗読、というのも定番になってきたようです。今日もまず、一緒に詩を朗読しました。中原中也の「秋の日」という作品です。

     秋の日

   磧(かわら)づたいの 並樹の 蔭に
  秋は 美し 女の 瞼(まぶた)
   泣きも いでなん 空の 潤(うる)み
  昔の 馬の 蹄(ひづめ)の 音よ

   長(なが)の 年月 疲れの ために
  国道(こうどう) いゆけば 秋は 身に沁(し)む
   なんでも ないてば なんでも ないに
  木履(ぼくり)の 音さえ 身に 沁みる

   陽は今 磧(かわら)の 半分に 射し
  流れを 無形(むぎょう)の 筏(いかだ)は とおる
   野原は 向うで 伏せって いるが

  連れだつ 友の お道化(どけ)た 調子も
   不思議に 空気に 溶け 込んで
  秋は 案じる くちびる 結んで

この詩の静かな空気感は、単語ごとに一字空け、一呼吸おくところから、滲み出ているように思います。続けて読んでしまいがちなものですが、M君は、きちんと呼吸を挿んで、その一マスの空白も、朗読することができました。また、そのおかげか、詩のリズムにも乗れていたようにも思います。褒めてあげると、M君は「朗読できた」と、満足気でした。

詩の次は、いよいよ漢字です。前回「人」に関する漢字について学んだ時に、「月(にくづき)」の話になったので、今日は「人体の部」として、「にくづき」をもつ漢字の成り立ちを学びました。「にくづき」は「つき・つきへん」とは別個に、「肉」の形が変化したものだから体の漢字に用いるということを説明した後、それぞれの漢字の成り立ちを見ていきました。
「北」は二人が「背中」合わせになっている形であり、それに身体の部分を示す「にくづき」を加えて、「せなか、うしろ」という意味になったことに触れたとき、ではそもそもなぜ「北」が方角の「きた」の意味になったのかという話になりました。中国の都城は東西南北の碁盤目状になっており、王が坐ったとき「背」を向けている方向が「北」だったから「きた」の意味になったと学んだとき、M君は「そうか!」と言って、「じゃあ王さまの背中が南に向くことになってたら、『北』(という字)は『みなみ』の意味になってたんやんな?」と、核心を捉えた理解を示してくれました。漢字を通して言葉の奥深い世界に興味を持てるM君は素晴しいと思いました。

最後は、先週の『トロッコ』の絵の続きに取り組みました。今日は漢字の議論で時間がおしてしまったこともあり(以前、岸本先生がブログでおっしゃっていたような「嬉しい誤算」です)、時間があまり取れず、申しわけなかったのですが、このままいくと来週には完成しそうです。

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