6/3 ことば4年生(A)

高木です。

 お山の上からは、街が一望できると同時に、空を近くに感じることができます。午前中降りつづいた雨は昼過ぎにはあがり、雨を落しきった雲はいくらか身軽になっていましたが、今日の午後5時30分現在、それでも雲は、空のずっと向こうまで棚引いていました。
 そこで今日は、中也の「曇天」を朗読しました。

    曇天

   ある朝 僕は 空の 中に、
  黒い 旗が はためくを 見た。
   はたはた それは はためいて いたが、
  音は きこえぬ 高きが ゆえに。

   手繰り 下ろそうと 僕は したが、
  綱も なければ それも 叶わず、
   旗は はたはた はためく ばかり、
  空の 奥処(おくが)に 舞い入る 如く。

   かかる 朝(あした)を 少年の 日も、
  しばしば 見たりと 僕は おもう。
   かの時は そを 野原の 上に、
  今はた 都会の 甍(いらか)の 上に。

   かの時 この時 時は 隔つれ、
  此処と 彼処と 所は 異れ、
   はたはた はたはた み空に ひとり、
  いまも かわらぬ かの 黒旗よ。

M君に配ったプリントでは、まだ習っていない漢字には読みがなをふりました。「僕」という字(小学校では習いません)にもふったのですが、M君は「『僕』は知ってるで」と言ってくれました。先週の「夫」もそうでしたが、M君は日頃から漢字に積極的に接しているようです。
 題名に「曇天」と掲げつつ、本文には一片の雲も現れないところが、この詩の妙趣のひとつだと思います。しかし、旗が雲の隠喩だと決めつけるよりも、M君が示してくれたように、この詩をそのまま解して、空に黒旗がはためいている光景を夢想するほうが、より詩的にも感じられます。
 さて、何度か朗読しているうちに、教室の窓の外から見える雲が千切れて、晴れ間がのぞきはじめました。「曇天」ではなくなってきたところで、次に移りました。

 今日の漢字のテーマは、先週に引き続き「人」でした。光、見、元、先、という字と「人」との関係に、M君は目を丸くしていました。また、「先」から派生して、止、歩、も学びました。進むこと(先、歩)と止まることの共通点はどこにあるでしょうか。ときおり漢字は、意表を突くかたちで、真理を浮かびあがらせます。

 最後はM君のお待ちかね、絵を描きました。四月の最初のクラスで約束した通り、これまで読んできた『トロッコ』の物語を、絵にするのです。
 それは風景や人物の写生や空想の表出とは違います。物語を絵にするには、自分の頭の中に情景が立ち上がるくらいに、そこに書かれてある言葉をよく読み込んでいる必要があるからです。絵を描きながら「ここはどうだったか」と言葉を辿りなおすことで、言葉が実践に即して印象づけられ、また言葉から情景を想像する力が養われます。そして、そうした想像力は、物語を豊かに “体験する” ためには、欠かせないものです。
 M君の絵には、勾配になっているレールや、木の板で組まれたトロッコや、トロッコに乗る良平や、良平と一緒に乗る良平の弟とその友達や、彼らの楽しげな表情が描かれていて、その周りには、いくつも実がなっている蜜柑畑や、大きな海が、広がっていました。今週の時間では描ききれなかったので、来週もこの続きをします。