高木です。

先週に引き続き、ヘーベルの「蛙の雨」です。
前回は辞書で丁寧に言葉の意味を調べたので、今日はいよいよ内容に入ります。

まず、この短編の全文(2ページ程度)を音読してもらいました。K君の音読は心がこもっていて、いつ聞いても心地良いものです。

次いで、そのあらすじと筆写の意見を要約してもらいました。できるだけ自分の言葉で説明してほしいので、テキストは伏せてもらいます。途中、長く詰まったり、省略しすぎて意味が通らないときには、こちらの問いかけに答えてもらうかたちで補いました。
とはいえ、全文にわたってきちんと辞書を引いてくれたことと、K君の読解力・表現力の高さによって、口頭ながらよくまとめてくれていました。あとで書かれてあることについての質問を二三投げかけてみても、的をえた答えが返ってきます。
(あらすじは次のとおり→
ついさっきまで姿ひとつ見えなかった蛙が、いっぺんにたくさんいるのを見ると、「蛙の雨が降ったのだ」と、短絡的に結論づけてしまう人々がいる。もちろん実際には蛙の雨が降るなんてことはない。夏、心地良い住処をもとめて人知れず森の繁みに移動した蛙たちは、恵みの雨が降るといっせいに飛びだしてくる。人々は偶然そこに来あわせただけなのだ。「蛙の雨が降った」というのは、自分に理解できないことの原因を合理的に考えることを怠慢した人々による荒唐無稽な作り話だ、とヘーベルは結論づける。)

そこで、さらに一歩踏み込んで、K君には、「「蛙の雨」のような話は、他にどのようなものがあるか」ということと、「こうした話について、K君はどう考えるか」ということを、作文してもらうことにしました。
ヘーベルは「蛙の雨」のような話を、ものぐさな人々が思いついた、非科学的な迷信だと言います。また、K君に質問しても、読後すぐは同じ意見でした。そこで私は、わざと、ヘーベルとは逆の立場から例を挙げてみました。
たとえば「神話」はどうでしょうか。日本やギリシャなどの神話は、もちろん現代では、それが出鱈目であることが明白です。しかしかつてその神話を信じた当人たちにとっては、それは考えることを怠けるためのでっちあげでも、荒唐無稽な法螺話だとも言い切れないものです。それは、自分たちの生活に甚大な影響を及ぼす自然界のさまざまな現象の原因を、科学的な検証方法が存在しないなかで、その代わりに想像力によって追求した、いわば叡智の結晶とも言えるのです。
なぜ秋の収穫の季節になると決まって台風がやってくるのか、その科学的な原因は当時の人々には分からないし、分かりようもない。でも分からないことを分からないままに放置しておくのではなく、それを自分たちなりに考え、「それはスサノオという神の仕業なのだ」と想像し、自分たちの思考のなかに取り込んでいくことが、彼らにとっての生活の業だったのではないでしょうか。

こうした話をすると、K君はすぐに次の例を挙げてくれました。
ある人に一枚の空の写真を見せます。そこには、雲と、鳥と、よくわからない真黒な物体が写っています。これを15分間見せて、その3時間後に、さっきの写真を絵で再現してもらいます。すると、その絵には、雲と鳥が描かれているのですが、真黒の物体は、よく見るようなUFOの形、窓のついた円盤状の飛行物体に変化しています。実際にはその黒い物体は横から投げられた帽子なのかもしれません。しかしその人は、空に浮かぶよくわからない黒い物体を、UFOだと思いこんでいるのです。
またK君はこんな話もしてくれました。
棒グラフがあって、そこには(ア)(イ)(ウ)それぞれの長さがあります。客観的にはどう見ても(イ)がいちばん長い。しかし5人のうち4人に(ウ)がいちばん長いと口を合わせて答えてもらうと、残りの1人は、迷いながらも(ウ)が長いと答えたのです。
そのあとK君は、こう言ってくれました。「人間にはいろんな経験がたまっていっているから、そこからものごとを決めることもある。」ヘーベルの「蛙の雨」を本質的に理解したうえでの、K君の意見だと思います。

議論をしていると時間がきてしまいました。私はK君といつまででも話していられそうです(笑)
来週は、今日の議論をふまえて書いてきてくれた作文を発表してもらい、添削と清書にうつります。

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