「ラテン語初級講読B」──山びこ通信より(2011.6)

『ラテン語初級講読B』 (担当:山下大吾)

今学期から開講された当クラスでは、キケローの哲学的対話篇『老年について』を読み進めています。受講生は初級文法クラスから継続受講されるCさんお一方、昼下がりの穏やかな離れの間で、毎週楽しくも真剣な授業が行われております。Cさんは初級文法を終えていよいよ原典に取り組まれることとなりましたが、これまで練習問題などで見慣れていた規模と比べ格段に長い文章に直面し少しく当惑されたようです。ある程度のまとまりは正しく理解されていますが、そのまとまりをさらに大きな規模で、論理的に整合性のある「文」としてまとめる段階―すなわち syntax、「しっかりまとめること」―で今のところ足踏みされています。しかしケーベル先生も認めているように、本来ラテン語のシンタックスは非常に優れたものですので、ラテン語散文の鑑といわれるキケローの文章から、一日も早くその美しさを味わって頂きたいと願っております。

その授業の初回時、「まるでほろ酔い気分で書いているようですね」とCさんがふと意外な感想を口にされました。この対話篇の冒頭、エンニウスの詩行を基にした、キケロー自身のアッティクスに捧げる献辞にある言葉を目にされてのことです。

該当箇所は確かに陽気な雰囲気に満ち、アッティクスに対し「ご褒美」をねだるなど、気心の知れた友人間ならではの気安さが感じられます。しかしながら当時のキケローは、直後に「昨今の情勢に激しく動揺」していると自ら打ち明けるほど、丁度晩年のトロツキーのように、実際には政敵アントーニウスからの刺客の襲撃に対し絶えず身構えざるを得ないという、文字通り一寸先は闇の非常に危険な立場に位置していました。水で割った芳しい一杯のワインに身を任せ、つかの間心労を紛らせつつ筆を執るキケローの姿を想像するのも、それほど見当違いなものではないのかもしれません。

(山下大吾)