『ラテン語初級講読A』 (担当:山下大吾)

キケローの対話篇『友情について』を読み進めてきた当クラスに、今学期は若きNさんが加わり、メンバーは開講以来継続受講されているお二方と私を加え合計四人となり、離れの机の四辺が程よく埋まりました。Nさん加入が良き刺激になったのでしょうか、上記お二方の読解力も回数を経るごとに向上し、充実した授業が展開されております。その成果は、今学期中に同対話篇をめでたく読了する目途がついたことに明瞭に現れているでしょう。受講生の皆様方の努力に拍手を贈りたく思います。来学期からは同じくキケローの『国家について』からの一節、『スキーピオーの夢』を読み進める予定です。Quamquam a multis ipsa virtus contemnitur et venditatio quaedam atque ostentatio esse dicitur. 「徳でさえ多くの人から軽蔑されて、自己宣伝とか見せびらかしだと言われることがある」。86節のこの言葉は、結論に当たる27章100節の、徳を薦め礼賛する言葉を読むと少々意外な感じがしますが、要は「過ぎたるは猶及ばざるが如し」ということになるのでしょうか。ホラーティウスの詩行(『書簡詩集』1.6.15-16.)を思い起こさせ印象に残りました。

ある日の授業で、受講生のAさんが手ずから写されたテクストを朗読していた所、ある部分がすっかり抜け落ち、慌てて底本のテクストを見直すという機会がありました。傍らではHさんが、以前自ら体験された「事件」を目の当たりにし安心されたのか、その顔はにっこり微笑んでいます。

Aさんの為された行為は、古文書学上いわゆる homoeoteleuton に因るお墨付きの「誤り」であり、その点で西洋古典を学ぶ者として、その昔、今日我々の依拠する版の基礎となるテクストを丹精込めて書き写した(と同時に「誤り」を犯した)写字生と同列に並ぶことになります。語句の繰り返しを明らかに意図して書いたキケローに対してお詫び申し上げると同時に、自らの生々しい記憶と重ね合わせ、何かしら誇らしい感情を、受講生の皆様と共有する貴重な授業となりました。

(山下大吾)

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