『ラテン語初級講読A』 (担当:山下大吾)

今学期の当クラスでは、キケローの『国家について』からの一節である『スキーピオーの夢』を読み進めています。受講生はこのクラス開講以来継続受講されているお二方です。短いものですので、お二方の進展したラテン語読解力を鑑み、今学期中の読了を目指しております。来学期からはキケローの代表的な弁論である『カティリーナ弾劾』に取り組む予定です。

 

上述したように作品の規模としては小品に属するものでしょうが、その内容は壮大なもので、21世紀に生きる我々の想像力を遥かに凌駕する迫力で展開していきます。夢の中で祖父である大スキーピオーや父パウルスに出会った小スキーピオーは、いつしか自らが地球を離れ天界の果てにいることに気付きます。そこから見る地球の何と小さなこと! 地球には魂を除いて死すべきもの崩れ落ちるものしか存在しません。従ってこの世界観は、同じ天動説に立脚しながらも、後に地動説を唱えるガリレオを異端審問で追い詰めたような、地球を天界の主人とするキリスト教神学のドグマとは全く異なるものであることが認められます。

ストア派の教えが濃厚な天上の世界には、神によって定められた、そこに至るまでの地上の義務を果たさなければ到達できないと父パウルスが息子に語りかけます。地上の生命は、決して他ならぬストア派の人々が考えたようなἀδιάφορον「取るに足らないもの」ではないというキケローの信念の顕れと見てよいでしょう。

天界の叙述は、上述のように当時一般的な見解であった天動説に基づいていますが、ピタゴラス派の影響を受け、星々の動きに妙なる音楽の調べが織り込まれるなど、哲学的主題を背景にしつつも実に美しく鮮やかで「文学的」です。このような文学的想像力が一体どこから生まれてきたのか、読み進めながら時折不思議な感覚に襲われるほどです。もっとも本来の夜空には、キケローならずとも人間にこれだけの想像力を働かせる力が宿っているはずで、「光害」に毒された今日の我々の環境の方が異常なのかもしれません。

哲学的なテーマや術語が多く現れるため、参考書として波多野精一の『西洋哲学史要』を用いています。明治34年(1901年)刊行という一世紀以上前の本でありながら、文語体であることを除けば現在でもこの書を越える同内容の概説書はないと言われるほどの名著で、今回改めてそのことを認識するに至りました。波多野がこの書を著したのは満24歳の時。一回り以上年上になってしまった我が身を省みて、またもや何やら不思議な感覚に襲われます。

(山下大吾)

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