ラテン語初級講読A・B・D(クラスだより2013/2)

今号の山びこ通信(2013/2月号)から、クラスの様子をご紹介します。(以下転載)

『ラテン語初級講読A・B・D』 (担当:山下大吾)

私の担当するラテン語講読クラスでは、いずれもキケローの作品に取り組んでおります。Aクラスでは、一昨年の冬学期から取り組んでいた『カティリーナ弾劾』を、底本に収められた第二演説まで無事読了することができました。様々なレベルの読書が存在する中、講読用のテクストとして日々親しんできた本を一冊「挙げる」喜びはまた格別のものです。これも開講以来継続受講下さっているAさんとHさん双方の情熱あってのもの、お二方の変わらぬご努力に心から拍手を贈りたく思います。来学期は『友情について』の始めの部分を読み進める予定です。

Bクラス、並びにDクラスでは、『友情について』とペアを構成する対話篇『老年について』を読み進めています。昨年の春学期冒頭から読み始めたBクラスでは、今学期中の読了の目途が付き、このクラスでも「挙げる」喜びを受講生の方と近々味わうことになりそうです。途中ブドウ栽培など農業に関する話題が集中して出てきましたが、嬉々として語るカトーの言葉に熱がこもればこもるほど、見慣れない単語や不確かな状況説明に苦しめられた経験も今となっては懐かしく思い起こされます。Dクラスでは、受講生の方のご希望もあり、次学期から『義務について』に取り組む予定です。

キケローのみならず古代の政治家はすなわち優れた弁論家を意味し、彼らは今我々が読んでいるテクストをほとんど暗記して、しかも過度な演出に走らぬようトガを右手に巻き付けた上で弁論に臨みました。その伝統は現代の欧米の政治弁論にも受け継がれています。多弁を戒める文化であることを重々弁えた上での話題になりますが、野次を飛ばすことにのみ情熱を注ぎ、演出はおろか、首相を始め各議員が直立不動で原稿を棒読みする某国国会の様をキケローが目にしたら、O tempora, o mores! 「何という時代、何という習わしだ」と嘆くに違いありません。

 

(山下大吾)