ギリシャ語・ラテン語各クラス(クラスだより2013/2)

今号の山びこ通信(2013/2月号)から、クラスの様子をご紹介します。(以下転載)

 

『ギリシャ語初級講読(A・B・C)』 『ギリシャ語中級講読』『ラテン語入門』 『ラテン語中級講読』 (担当:広川直幸)

私が山の学校で古典ギリシャ語とラテン語を教え始めてもうすぐ五年が経つ.平成20年度の春に初めて担当した授業は新規のギリシャ語入門と山下先生から引き継いだラテン語中級講読の二つであった.
ギリシャ語入門はその後『イーリアス』講読などを経て今は中級講読になり受講生の希望でトゥーキューディデースを読みながら悪戦苦闘している.現在,非常に有名でありまたおそらく古典期アッティカ散文の中で最も難解な「ペリクレースの国葬演説」を読み終えたところである.

ラテン語中級講読はずっと同じ曜日・時限で続いている.山の学校開校時からの受講生一名とウェルギリウスの『農耕詩』を読み終え『アイネーイス』に移って少ししたところで受講生の本来の興味分野と私の関心が一致したのでテクストをペトラルカに変更し現在は『わが秘密』を読んでいる.ペトラルカのラテン語には中世ラテン語の名残が残っていて綴りも文法も古典ラテン語とは微妙に違う.それでも人文主義の父のラテン語は中世ラテン語からの脱却と古典ラテン語への回帰を志向している.思想面のみならず言語面でも中世からルネサンスへと移行してゆくことが感じられ興味深い.

平成21年度春に新規のギリシャ語入門として開講し現在ギリシャ語初級講読Aになっている授業ではかなりの量を読んできた.一年かけて入門を終えた後プラトーンの『ソークラテースの弁明』を約一年ですべて読み次に『新約聖書』の「マタイによる福音書」をこれもおよそ一年で全部読んだ.現在は『オデュッセイア』を読んでいる.この授業で読んだ『ソークラテースの弁明』は今までになく心に響いた.また「マタイによる福音書」を読むことでギリシャ語の歴史的変化に対する感覚が研ぎ澄まされるのを感じた.

平成21年度秋学期から開講しているラテン語入門はHans H. Ørberg, Lingua Latinaという優れた教科書を用いて学び続けている.現在二冊目のRoma aeternaのCapitulum XLVI(46課)でエウトロピウスのBreviarium ab urbe conditaの王政後のローマの歴史の部分を原典のままで読んでいる.エウトロピウスは最近はあまり読まれないが以前は歴史の教科書として重宝されたそうである.後期ラテン語で書かれているので,古典ラテン語と多少の違いはあるものの易しいので気楽にどんどん読める.Lingua Latinaはこの課から原典からの抜粋になる.それに加えて一課ごとに全問ラテン語で答えなければならない練習問題が大量に付いているので普通の原典講読の授業よりも難しいのではあるが粘り強く学んでいる.

平成23年度春学期にはギリシャ語入門AとBの二つのギリシャ語入門を開講した.今では入門Aは初級講読Cになり入門Bは初級講読Bになっている.入門Aは初めて中学生を迎えての授業であったので教材選びの段階で苦労した.大学生相手に文法用語を多用し暗号解読のような短文ばかり読ませる教科書は使えない.さりとて昨今主流になっている読解中心の教科書はReading GreekAthenazeのように大部であり“μέγα βιβλίον μέγα κακόν”の格言そのままである.そのような状況でPeckett & Munday, Thrasymachusを選んだのはどうやら正解であった.一冊で完結していて物語の読解中心でしかもその内容は抜群に面白く文法解説は最小限で練習問題は豊富である.初めは戸惑っていた受講生が教科書のおかげかどんどん読めるようになって行くのを見るのは非常に喜ばしい体験であった.この授業は初級講読Cになって今は『新約聖書』の「マルコによる福音書」を読んでいる.

入門Bは今思い返しても大変な授業であった.ラテン語既習の受講生が対象であったので文法訳読方式のほうが慣れているであろうと考えて往年の定番教科書J. W. White, First Greek Book(絶版)を海外の古書店から取り寄せて用いたのだが,昨今の学生ならまず途中で音を上げるであろうスパルタ式の教科書であった.教える側ですら大変であったのに,受講生はこれを月に二回,一回二コマ分というタイトなスケジュールで一年で見事やり遂げて,今では講読Bでプラトーンの『饗宴』を原典で読んでいる.しかも,North & Hillard, Greek Prose Compositionを用いた作文の練習までしている.

どの授業も受講生の熱意に支えられて成立しているようなものである.大学の授業でこれほど熱意のある学生に接する機会は少ない.私の教え方はカルチャーセンターなどとは真逆で相手に見込みありと見れば厳しく鍛え上げるものである.よくぞ付いてきてくれたと思う.私事になるが平成17年に半身を引きちぎられるような筆舌に尽くしがたい喪失体験をし翌年から絶望のどん底で大学講師の仕事を始めた私にとって平成20年から山の学校でやる気に満ち溢れた受講生に接することができたのは一種の救いであった.ここに感謝の意を表したい.また,山の学校の記念すべき十周年を期によりいっそう受講生の意欲に応えられるように研鑽してゆきたい.

  (広川直幸)