『山の学校ゼミ(社会)』(クラスだより2013.11)

今号の山びこ通信(2013/11/1)から、クラスの様子をご紹介します。(以下転載)

『山の学校ゼミ(社会)』(担当:中島啓勝)

マーク・トウェインの有名な言葉にこのようなものがあります。「歴史は繰り返さない、だが韻を踏む」。確かに、全く同じことは二度と起こらないからこそ、私たちは歴史を学んで現代に活かそうとする際にその「韻」を上手く掴み取らなければいけないのでしょう。

しかし、そんなことが簡単にできるならば最初から私たちはこんなに悩んだりすることもない訳です。歴史は時に頭韻を踏んできたかと思えば、次は脚韻を踏み、ある時にはわざと破調を選んでくるかのように振る舞います。果たして本当に「韻」などあるのかと疑わしいほどにその流れは複雑怪奇です。

また、歴史の語りのどこに句読点を置くかによって、「韻」に対する解釈も変わってくるでしょう。今を生きる私たちはどうしても自分たちの立っている現在を特別な時代だと思いがちです。「今、ここ」に句点を置いて、これまでの歴史がそこに向けて完成されたパッケージかのように考えて「韻」を読みきったと勘違いしてしまいます。

きっと未来の人々は、私たちが生きる「今、ここ」を「昔々、ある所に」という形で、句点ではなく単なる一つの読点として読むことになるでしょう。そしてまた自分たちの生きる時代が確固とした句点だと思い込む……。歴史は繰り返しませんが、歴史の読み違いをする人間の浅はかさはきっと変わらず繰り返されてきたのではないでしょうか。

「山の学校ゼミ(社会)」では今までの学期同様、前半は国際政治情勢やグローバル経済についてのニュース記事の紹介、後半は課題図書の講読という形で、社会人の生徒さん三名と一緒に楽しく授業を行っています。混迷する中東情勢や、新興国の経済成長にかかる暗雲など、今後も予断を許さないようなニュースが続いており、様々な視点を交えながらざっくばらんに議論しています。

特に、東南アジアやアフリカの話題などは、生徒の皆さんには興味が持ちにくく退屈な面もあるかと思いつつも、それでも今後間違いなく人口増加による経済成長、いわゆる「人口ボーナス」を受け取る地域として、敢えてなるべく取り上げるようにしています。先日は、マレーシアやインドネシアが実はイスラム圏の中でアラビア半島や北アフリカの国々に匹敵するほどの存在感を持ち始めているという記事を紹介しました。

2013年の現時点で既にカトリック教徒よりも多い人口を抱え、今後も増え続けることは確実なイスラム教徒の人々。その中心が今後は私たちに身近なアジアに移っていくかも知れないと知って、生徒の皆さんも少なからず驚かれていたようでした。

後半の講読では、以前から「日本の近代史についてもう一度ちゃんと学んでみたい」という要望に応えるため、課題図書を二つ用意しました。一冊は山川出版社が学生以外の一般読者を想定して刊行している『もういちど読む山川日本近代史』(山川出版社)です。

高校教科書よりも一般書的な記述になっているだけでなく、日本史学の近年の動向についてもかなり詳しく解説されており、まさに先ほども書いた歴史にどのように句読点を入れるかが生々しく変わっていっていることが見て取れます。

更に、これを下敷きにしながらもう一冊、こちらも話題になった本を読み進めています。加藤陽子の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)です。

こちらは著者がこの本のために高校生に行った講義を再構成したものになっており、平易な文章でとても読みやすいのですが、それでいながら最新の研究成果が惜しげもなく紹介されています。やはり日本の近現代というテーマは生徒の皆さんも強い関心をお持ちなので、この二冊を併用しながらできるだけ公平で多角的な視点から議論することを心がけています。

マーク・トウェインはそう言えば、歴史についてこんな言葉も残しています。「すべての歴史を書くあのインクだって液体の偏見に過ぎない」。これからもこの警句を胸に、しかしそれでも歴史が踏む「韻」を感じ取る努力を皆さんと一緒にしていくつもりです。

(中島啓勝)