0525 英語講読(J.S.ミル『自由論』)

有名な自由の原則の部分から読みました。

 

 

その原則とは、自由が制限されるのは他者に危害を加える時だけだというものです。こうしたほうがあなたにとってよい、といったパターナリズム的な介入は否定されます。その段落は以下の一文で結ばれます。

 

Over himself, over his own body and mind, the individual is sovereign.

 

「自分自身に関しては、自身の身体と精神に関しては、個人が主権者なのである」という力強い表現です。

 

それに続く箇所では想定された反論に答えていきます。まず。男性あるいは女性として法律で規定される年齢以下の子どもが除外されます。ここで男性あるいは女性(manhood or womanhood)と書かれているところに注目しました。男女同権を主張したミルらしいと私は感じました。さらに、法的に成人だとされる年齢が男性と女性とでは異なるためではないかという指摘を受講生の方がされました。あり得る話です。

 

次に人種として子どものような状態にある場合も除外されます。現代の基準からするとそのように言い切るのはどうかなとも感じる部分です。慎重に記述を進めるミルの著作の中にあってはなおさらそう感じます。

 

続いて、作為と不作為の話になります。例えば瀕死の人を助けたりするといった義務がある場合には不作為も作為と同じように他者に危害を与えると考えるのは、現代の刑法でもそのまま通用する議論です。また、思想・良心の自由から出版の自由が導かれ、さらには集会・結社の自由も考えることができるというのは、日本国憲法でもあてはまります。

 

ミル自身はこのような議論が当たり前だとしたら申し訳ないといったような感じで謙遜しますが、当時としては斬新な議論だったと推測されます。実際、その時代に通用していたコントの議論に反論することが意図されています。また、効用(utility)に関しては議論を控えます。ミルとベンサムとの関係は議論のあるところです。

 

これで第1章が終わりました。次回は第2章からです。