12/5 歴史入門(高校)

岸本です。

今日から、冬学期が始まります。

前回からひきつづき、イスラーム教の広まった地域の歴史を見ていきます。

今回は、イランのサファヴィー朝とトルコのオスマン朝を議論していきました。

 

白羊朝が衰退する中、サファヴィー教団を基礎とするサファヴィー朝が誕生しました。

教団内の争いから特異なシーア派を信奉することになったサファヴィー朝でしたが、支配領域が拡大し、領内にスンナ派が増大するに当たり、より穏健なシーア派、十二イマーム派を受容するようになりました。

イランの住民には、シーア派的なイマーム信仰の下地があったことも、シーア派のサファヴィー朝が繁栄した一つの要因だったとされます。

生徒さんも、初代のイスマーイール1世の名が、シーア派の過激派イスマーイール派を彷彿させると指摘してくれました。

現在でもイランにシーア派が根付いているのには、この時期が重要な意味をなしたと思われます。

サファヴィー朝は、その後アッバース1世の下で、軍制改革を経て勢力を拡大、官僚機構を整備すると、最盛期を迎えます。

新首都イスファハーンは「世界の半分」と称されるほどの繁栄を見せるのです。

 

東方でサファヴィー朝が繁栄をする一方、西方ではオスマントルコが台頭していきました。

当初はオスマンを中心とする兵士の一団ガーズィーとして発生したオスマン帝国は、次第に国家の体裁を整えていきます。

例えば、ムラト1世はスルタン直属のイエニチェリという歩兵集団を創設するなど、君主権力の確立に努めました。

これまで軍事力の中心だったトルコ系奴隷による騎兵軍団とは、性格が違うことが生徒さんとは議論となりました。

バルカン半島にも進出したオスマン帝国ですが、当時破竹の勢いで拡大していたティムールに敗れ、実質的な中断を余儀なくされます。

しかし、体勢を立て直すと、メフメト2世の下でコンスタンティノープルを陥落させ、バルカン半島や黒海沿岸をその支配下におさめました。

また、メフメト2世の時代には、土地の再編など中央集権がさらに進みました。

そして、サファヴィー朝を破ったセリム1世がエジプト・シリアを支配するマムルーク朝を倒し、メッカ・メディナの両聖都の保護権を獲得します。

これによって、名実ともにオスマン帝国はイスラーム教世界の中心となります。

オスマン帝国の最大版図を築き、中央集権制を完成させて最盛期となったのが、スレイマン1世の時代でした。

今回はここまでで時間となりましたので、オスマン帝国の後半期については、また来週議論していこうと思います。