西洋古典を読む(2021/10/13)『アエネーイス』第6巻読了(その2)

福西です。

(その1)の続きです。

 

ところで、11巻309行目に、

「諦めよ。みなそれぞれに希望はある」(ponite. spes sibi quisque)

というフレーズがあります。

ラティーヌス王の言葉です。みんな自分の希望というものを持っているが、それは頼りないものだ、と。

人間の希望には、かなうものと、かなわないものがあります。

ディードーの恋も、トゥルヌスの勝利も、結局は「かなわない希望」に属します。また9巻でその死を歌われるニーススとエウリュアルスの功名も。そしてアエネーアスがトロイア側を勝利させることも、ユーノーがローマの興隆を阻むことも。みな「かなわない希望」に類します。

複数の希望のうち、運命(ユピテルの意思)に合致するものだけが、現実化することができます。

現実化するまでの希望は、まるで実体を持たない霊のようであり、6巻で見た冥府(から地上へ)の門の前に並んでいるかのようです。

最後まで実体化しないとすれば、それは虚しい(inanis)希望です。

 

しかし、虚しいからといって、無駄と完全に割り切ることができる者がいるとすれば、それは人間ではなくて、神になってしまうでしょう。

人間は神ではなく、死すべき存在(mortalia)です。その人間が描いた人間の歴史(res)の壁画に、アエネーアスは涙し、未来に対する勇気をもらいました。1巻の「ユーノーの神殿の絵」です。ここで、アエネーアスが涙したのは、神の啓示を直接受けたからではなくて、人間のすることが「心に触れ」(tangunt)たからでした。

 

(その3)に続きます。