「『トムは真夜中の庭で』を読む」(西洋の児童文学を読むB、2021/7/2)(その2)

福西です。(その1)の続きです。

トムは、大時計の文字盤を調べようとします。しかし電灯のスイッチがどこか分かりません。そこで、月光を邪魔している、邸宅の裏がわのドアを開けようとします。

こうした小さな必然を積み上げたのち、物語のファンタジーがいよいよ姿を現します。

トムは、ドアを大きくひらいて、月の光をなかにいれた。ひるまの光のようにあかるい光──太陽がすっかりのぼってしまうまえの白い光が、あふれるようにいっぱいさしこんできた。照明は完全だった。

(…)ひろい芝生のあちこちには花壇がいくつもあって、花が咲きみだれている。芝生のふたつの側面には、モミの木が一本そびえ立っているし、何本かのイチイの木がおいかぶさるような枝をこんもりと茂らせて、まるくなっている。右手にあたって、もうひとつの芝生の側面には、ほんとうの家とほとんどおなじくらいな大きさの温室が立っている。

トムは最初、憤りをおぼえます。「おじさんは、ドアの向こう側には、ガレージやゴミ捨て場しかないと言っていたじゃないか。こんな素敵な場所があることを内緒にしていたんだ。ぼくにいたずらをされたくないもんから、黙っていたんだ」と。(しかしあとで、トムの思い込みだとわかります)。

この憤りは、1章で、部屋の窓に転落防止用の横木を見てトムが怒ったときと似ています。

自分は子ども扱いされている、要するに、「信用されていない」んだと。

ちなみにここで初登場する「モミの木」(挿絵にある一番高い木)は、イーリーの大聖堂、大時計と並んで、物語の重要な要素です。

 

トムの見た庭には、次のような矛盾があります。

・夜明け前の明るさであること

・女中(アパートの人ではない誰か)が早朝の支度をしていること

・4月の花であるライラックが咲いていること

トムがドアを開けたのは、夜中の0時すぎ、季節は真夏です。

そしてトムは、庭の向こう側の屋敷から出てきた女中(少女)を目撃します。しかし女中はトムを見ても、その視線はトムをすり抜けます。

さらに、大時計のあるホールには、さっきまでなかった虎の毛皮や晴雨計や剥製といった調度品が現れます。それも、1時間ほどして、すうっと消えていきます。

トムが最初に疑ったのは、「幽霊」でした。しかしその説明には納得がいかなかったので、けっきょく「不都合な情報」として捨ててしまいます。

ホールなんてちっともおもしろくはない、おもしろいのは庭園の方だ。

と。このような「見た光景との折り合いのつけ方」は、子供らしい合理性だと思います。

トムは、ずいぶんながいことそとを眺めていたあとで、ドアをしめた。「また、くるよ。」と、声にはださずに、木々や芝生や温室に別れをつげた。

トムがドア(目)を閉じるまで、庭園はその向こう側にあり続けたのでした。