ガタガタの鉛筆、トガッたたけのこ。(絵や文字はどこからくるのか)

かいがクラス担当、梁川です。

この日、外に絵を描きに行く準備として、まずみんなで鉛筆を削ることになりました。(2021/05/12「かいがA」クラス)
教室には、簡易鉛筆削り、ハンドル式の鉛筆削りがありましたが、作業をしながら話す中で、「本当にこだわりだすと、画学生なんかは大体カッターナイフで削るものなんです」という私の言葉に、みんなはピクリと反応し、結局この日集まった小学1、2,3年の仲間たちと、カッターで鉛筆を削るというチャレンジが始まりました。


「楽しい!今日はこれずっとしていたい!」と言ったR君の素直な言葉が胸に響きました。まだまだ不慣れですし、削られた鉛筆の先はガタガタしているものの、不思議とその佇まいには、「不格好」とは呼べない、独特のカッコよささえ漂っているのでした。
流石にずっと削るので終わるのは、いいお天気なので勿体無いということで(勿論、ずっと削り続ける展開でも問題ないと考えています)クラス開始から45分経ったところで、満を持して外へ出ました。

「タケノコ出ていないかな」という声があり、森の中の竹林でタケノコを探しました。実は今年は何故か極端にタケノコが少ないことを私は知っていたのですが、それでもきっとどこかにあるに違いないと竹林を縫い、時折尻餅をついては「きゃっ」と声をあげ、懸命に探し回り、ようやく、ひょろっとしたタケノコをたった一つだけ見つけることができました。

嬉々としてそれを教室に持ち帰ったときには、クラス残り時間、10足らず。

しかし、次回のクラスでは、そのタケノコはもう同じ姿を留めていないであろうことを、みんなは理解していました。

タケノコを囲み、自分たちの手で削った鉛筆を走らせるその10分間には、「それまでの80分の時間と体験」が凝縮され、みんなの集中力がスパークしているようでした。

何と無計画な時間なのかと叱られそうですが、私はそんなことは無いと思っています。

文字だって、絵だって、そこに「描(書)きつけるものと、描(書)きつけられるもの」が無ければ、あらわすことは出来ません。
(だから、鉛筆やナイフという「モノ」との対話は重要です)
そして、描きたい、という感動が無ければ、絵もなかなか生まれるものではありません。
(だから、何を描こうとワクワク探し回る時間は重要です)

どれも当たり前なのですけど、そうしたことを、この日の時間が、(そして、スケッチブックに描かれたひとつひとつの線が)物語っているように感じました。