「原点のことば」を持つこと(その2)

福西です。

(その1)の続きです。

Kisaka Toshiki君の詩です。

『さんご』──さんごの物語

海はとってもきれい。

だけど、ひとでは、ぼくのてき。
だって、ひとでは、きれいなさんごを食いあらす。
だから、ひとでは、きらい。
さんごは、ふやしても、すぐに
ひとでに、食べられちゃうんだ。
でも人間たちは、さんごをきれいだな、
きれいだなって、見てくれている。

これを記した記事を、山びこ通信の第1号に寄せています。

>>『ことばの風景』

 

私自身について思い出すと、「言葉を大事にしてもらったこと」が、社会を信頼するはじまりでした。幼稚園の年長の時、自分がそれをしてもらったことを、以下の記事に書きました。

>>『太陽ってなんぼある?』(北白川幼稚園・絵本通信より)

この時の先生に大事にしてもらった「詩」こそが、私の原点です。

「ことばのクラスを、なぜ私はするのか?/なにをするのか?」──そう今の自分に問いかけた時、「自分のしてもらったことをしたいと思うから/それをする」という声が返ってきました。