福西です。

『人生の短さについて』(セネカ、茂手木元蔵訳、岩波文庫)の17章を読みました。

生徒のA君の要約です。

多忙な者の喜びは不安定であり、この者たちは喜びが終わってしまうのを憂い、恐れる。最大の幸運は不安定である。これは偶然の産物であり転落しやすい。

苦労して自分の欲しいものを手に入れようとする。そして手に入れたものを持ちつづけようとする。それに使われた時間は計算外である。われわれは名誉を得るために多大な時間を使い、われわれを苦しめている。他人の名誉のためにも時間は持ち去られている。

幸運も不運も不安の原因であり不滅である。人生は多忙の中を進むであろう。

ラッキー(その場限りで自分の思い通りになること)に対する「関心」が強くなればなるほど、それがなくなる・終わることへの「恐怖」が忍び寄ります。ラッキーを、一番価値のあるものだとみなし、求め続けても、それはただの刺激と錯覚による「満足依存」です。その満足にはきりがありません。

さいころをふって、偶数ならお金が2倍になり、奇数なら1/2になるギャンブルがあります。理性は、えんえんと都合のいい目を出し続けることは、無理だと警告します。しかし、運の女神が(期限つきで)それを許してくれるならば、どうでしょうか。ファミコンのスーパーマリオをご存知でしょうか。それの「スター(無敵)を取った状態」にもし自分がなったとすれば。

一方、そこからの転落にびくびくするような不自然な状態にとどまることが、はたして「ハッピー」と呼ぶにふさわしいでしょうか?

 

ここで、原文からの切り口が必要です。

セネカの文章で、「運命」という日本語訳になっているものは、ほぼ「フォルトゥーナ」(運)のことです。

フォルトゥーナは神格化された場合は、気まぐれな女神として、目隠しをし、無考えに角袋からお金を配る姿で描かれています。または、転変を意味する車輪を持っています。「偶然」、単に「運」と訳したほうが、本当はいいのかもしれません。(文末【参考】)

フォルトゥーナの仕業が、自分にとって都合がよければラッキー、悪ければアンラッキーというわけですが、セネカは、このフォルトゥーナをつねに警戒します。

セネカは、『幸福な人生について』の4章5節で、「自由を与えてくれるものは、運命(フォルトゥーナ)を軽視すること以外にはない」(茂手木訳)と書いています。

quam fortunae neglegentia

直訳:運命の(fortunae)(支配下にある)ところのものを(quam)無視すること(neglegentia)

人は、自分の思い通りになる時には快を、思い通りにならない時には不快を感じます。それは心理的なものです。目の前にグーを突き出されたらパッと目をつむってしまうのと同じく、人間の心の「設計仕様」であり、仕方のないことです。

ただし、人間には心の上層に「精神」があります。精神には、心理の影響にいつまでも振り回されずにいる「自由」が許されています。

セネカの『幸福な人生について』の22章5節を見てみると、

「私の場合、たとえ財産は流れ去ったとしても、ただ財産だけが消え失せたにすぎないであろう。しかし、もし君から財産が去ったら、君は茫然自失し、自分自身が見殺しにされたと思うであろう」(茂手木訳)

とあります。

セネカは、運の女神が人生の中を出たり入ったりしたとき、心まで一緒に出たり入ったりすることを許してしまう態度を「多忙」と忠告し、そうでない態度を「暇」すなわち「自由」であると勧めています。

 

【参考】『人生の短さについて』のfortunaの箇所

以下(茂手木訳)で、「運命」とあるところを「運」と言い直すと、意味が通じやすくなります。

「運命に抗え」とセネカは言っているわけではないです。そうではなくて、「偶然に一喜一憂するな、精神を明け渡すな」と言っています。

1)幸運は(fortuna)おのずから崩壊する(4章1節)

2)個々人の運命も諸民族の運命も(fortunam)(4章4節)

3)運命を(fortunam)乗り越えている者を、乗り越えられるものはなにもないからである。(5章3節)

4)それ以上のことは、運命の女神が(fortuna)好きなように決めるであろう。(7章9節)

5)明日に依存して今日を失うことである。運命の(fortunae)手中に置かれているものを並べ立て、現に手元にあるものは放棄する。(9章1節)

6)過去は運命が(fortuna)すでにその特権を失っている時であり(10章2節)

7)(過去は)運命の(fortunae)支配外に運び去られた部分(10章4節)

8)何ものもそこから運命の手に(fortunae)引き渡されるものはない。(11章2節)

9)自己の幸運の(fortunae)大きさ(17章1節)

10)最大の幸運(fortunae)ほど信じられない幸運もない。(17章4節)

(fortuito「偶然に」は除く)

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