『ロシア語講読』クラス便り(2017年6月)

「山びこ通信」2017年度春学期号より下記の記事を転載致します。

『ロシア語講読』A・B

担当 担当 山下 大吾

 前号でお伝えしたように、前学期の途中から当クラスでは、プーシキンの短編小説集『ベールキン物語』の各編に取り組んでおります。現在はその冒頭に位置し、「駅長」と並んでこの小説集の中でも人気の高い「その一発」を読み終えたばかりのところです。この号がお手元に届くころには次編の「吹雪」を読み進める予定になっております。受講生は引き続きTさん、Nさんのお二方。アクセントの位置も含め、細かい文法事項に目を配るテクストの精読を基本としておりますが、小説の内容や登場人物の性格をめぐっての意見の交換もまた重要で、毎週木曜の貴重な昼下がりの一時となっております。
 「その一発」の主人公シルヴィオは、かつての決闘で受けた恥辱をそそごうと、決闘相手である伯爵に撃ち抜かれた帽子を胸に、撃ち損じることは決して許されない、自らに残された一撃の訓練にひたすら打ち込む人物です。射撃の多さから蜂の巣のようになった宿舎の壁、時折見せるらんらんと輝く両の目。執念深さの塊、復讐の鬼といったそれらの描写を読むと、性質の違いはともあれ、前回読んだ『スペードの女王』のゲルマンの姿と重なるところがあるかも知れません。
 富や血統、名声はおろか、社交上のそつない身のこなしに至るまで、あらゆる点でシルヴィオを凌ぐ伯爵は、かつての決闘で、シルヴィオの狙いをつける銃口を前にして死に対する恐怖を些かも見せることなく、それどころか持参したサクランボを悠々と食べ、その種をシルヴィオに向けて吐き出す始末です(この伯爵の態度に、南ロシア流刑時のプーシキンその人の姿が反映されているというエピソードがあります)。そのためシルヴィオはこの決闘を一旦打ち切り、伯爵が死の恐怖を前に狼狽する姿だけを追い求め、この小説の語り手が所属する連隊の駐屯地で田舎暮らしを送っていましたが、ついに伯爵が近々若く美しい娘と結婚するという知らせを受け取ると、好機逸すべからずとその日の内に宿舎を引き上げ、復讐の秘密を語り手のみに打ち明けてモスクワに向かいます。
 ある言葉を残して、伯爵の撃ち損じた弾痕に、殆ど狙いをつけずに寸分違わずその一発を撃ち込みつつ立ち去るシルヴィオの後ろ姿。この短編を読んだ者一人一人の脳裏に深く刻み込まれる名シーンです。