キケローを読む

山下です。

42-44節を読みました。auctoritas という言葉が心に残りました。中務先生の訳では「感化」となっています。

このラテン語は、authority の語源ですが、深い意味が込められています。私もよく理解できていません。

今日の文脈では、「自分のため、よかれと思い、ときにはっきりと、ときに厳しく注意してくれる友人の auctoritas には従わなければいけない」といわれています。

友人は自分を人間として高めてくれる auctoritas をもつものである、という前提がラエリウスの議論の中にはあります。「感化する力」、それは数学の模範解答を示すような仕方で、正解を示す態度とは違い、相手に腹から納得させる力をさすように感じられ、たしかに友人同士の間で必要なものだろう、と私自身ラエリウスの言葉にうなづくよう促されました。

[44] Haec igitur prima lex amicitiae sanciatur, ut ab amicis honesta petamus, amicorum causa honesta faciamus, ne exspectemus quidem, dum rogemur; studium semper adsit, cunctatio absit

最後の表現が印象的です。「友人に honesta を行う studium を常に心に用意せよ、逡巡(cunctatio)には無縁であれ」と。

このメッセージは次節以降で示されるエピクーロス派の幸福観と対照的です。現代の日本社会は、エピクーロス的幸福観が支配的です。