6/15 歴史入門(高校)

岸本です。

久しぶりのクラスで、私の方も口があまり回りませんでしたが、今日はいよいよ三国志のクライマックス「赤壁の戦い」に突入していきました。

前回は「官渡の戦い」まででしたが、その後は統一を可能とする有力な人物が限られていきます。
いよいよ「三国時代」の兆しが見えてくるのです。
「赤壁の戦い」は、孫権と劉備が曹操に勝利した点よりも、むしろ劉備が蜀を建てる足がかりとなる荊州を手に入れた点で、後の三国時代の中の大きな転換点となります。
しかし、その「赤壁の戦い」自体は、ある種偶然の産物でした。
曹操がこの時点で江南攻めを決意したことは、荊州を棚からぼた餅のように手に入れたことによる「油断」だったかもしれません。
また孫権にとっては、曹操の大軍との決戦は「予想外」のものでした。
結果は周知のとおりですが、演義の言う「東南の風」それ自体偶然だったとみなすこともできるでしょう。

しかし、歴史を動かす要因は偶然であれ、それを生み出す下地を作ったのはその歴史に生きた人々でした。
周瑜や魯粛の決断がなければ、孫権は降伏したかもしれません。
また、劉備が魯粛と結ばなければ、劉備は孫氏とつながりを持つこともなく、蜀を建てることもなかったでしょう。
このことからもわかるとおり、「三国時代」のきっかけとなる「赤壁の戦い」で、重要な役を担ったのは魯粛であり、彼が用いた「天下三分の計」だったというのが、最近の評価のようです。

生徒さんも、「演義では孔明にやりこまれるだけの魯粛が…」と驚いていました。
しかし、それをきちんと咀嚼して「赤壁の戦い」後の荊州・漢中・合肥での対立を通じて、曹操や孫権、劉備の置かれた状況について、しっかりと考えてくれました。
これまでとは違う視点で歴史を捉えることは、偏見をなくすだけでなく、もし自分であればどのように対処していたのか、それを新たに考え直すという点で、過去から新たに学ぶことができるチャンスとなります。
今回の魯粛の再評価を通じて、生徒さんにはそのような機会を活用してもらいたいと思います。

さて、関羽の死後に後の三国の領域がほぼ確定しますが、それの前後には、黄巾の乱から活躍してきたビッグネームがどんどん没していきます。
三国志は、新たな国の建国と共に世代交代も進んでいくのです。
今週は、急ぎながらもこのあたりまでで時間となってしまいました。
来週で、三国の成立とその後をまとめて、いったん区切りとしたいとするつもりです。
その後は、三国志の中から自分で好きなテーマを選んでレポートのようなものを書いてもらおうと考えています。
使える史料からどのようなことがいえるのか、簡単ではありますが、歴史を自分で書くという経験を生徒さんにもしてもらいたいと思います。